メシヤ教 三重支部

御教え勉強会 平成28年6月


<今月の御教え>
本文は『天国の福音書続篇(三)入門と奥座敷』82ページに記載されています。
平成28年6月に各支部で拝読し学び合う文章です。

【勉強会 三重支部】 勉強会資料
代表代行
ありがとうございました。今日は浄霊の仕方、というのがテーマですので、冒頭、ちょっと皆さんとお話ししたかったのが、足崩して下さい(笑)。この前の5月5日の本部の大祭の時に、皆さん既にメシヤ講座特選集をお読みかと思いますが、集団浄霊の資格について、非常に厳しいご指導が御座いまして、メシヤ教の方では、教導師第三位ですか、兎に角集団浄霊の資格があるのは楳木代表と○○さんだけなんです。という事は、そういう厳しいご指導を頂いていて、今回代表代行という事で、集団浄霊をしてもいいのか?という事を疑問というか、思いましたので、楳木代表に質問させて頂きました。それの回答がですね、

楳木代表メールより
「真摯な姿勢で月次祭に臨もうとしていることを大変嬉しく思います。これは私の指示ですので、それで代表代行の資格を有する事になります。又、月次祭の席上でそのありのままの心情を話したら、皆さんと今後の姿勢を共有できると思います。」

代表代行
 という事ですので、ちょっと皆さんと共有させて頂きました。皆さん、どう思われますか。
ここ結構厳しいご指導だったので、だから50人の信者さんに対して指導なり、祈ることができる人で初めて集団浄霊の資格を有する事ができる。というご指導で御座いましたので、私で良いのかな?と思ったので、お話しさせて頂いた次第です。まあ、許可を得ましたので、今日は集団浄霊をさせて頂きました。
 自分で集団浄霊をお取次ぎしてみて、やっぱり、月次祭という事で、浄霊をさせて頂くと光を感じるものがありました。今実際にお取次ぎしてみて、いつもとちょっと違うと。冒頭でそういうお話をさせて頂いてですね、続けます。
 『数字は神様だ』という事で、楳木代表からお話がありまして、その50人ということの理由、何故50人なんだということが書かれてまして、「審査基準の入会者50人の謂われの一つ=青年専従者時代に資格審査で苦い思いをしたことがあります。自らの実力ではなく、上司と同僚の狭間で合否を決定されたというものです。この時に公正さと本来の資格のあり方を模索しました。ちょうどその時期に武見太郎氏の発言が大きなインパクトを持って私に迫ってきました。ご承知のように1957年から25年に渡って日本医師会会長を務めた人です。“自分が患者の状態を把握できるのは50人までである”という認識の下に医療に従事しており、それが官僚にもの申す「けんか太郎」との異名の半面、クリニックでは治療代を患者に決めさせるなど「情けと涙の太郎」と言われた理由でもありました。医療に関する見解は異なっていても、患者を思う姿勢は尊いものだと受け止めました。そのことから、メシヤ様に繋がる自分達がその姿勢に勝るものがなければ「救い」という言葉を口にするのもおこがましい、と強く思えたのです。まずは50人の幸せ願いお世話のできる自分にならなければ資格というものを口にはできない。しかも、落下傘部隊的な、できた場所に赴いてのお世話ではなく、零から、切り開いた場所で許されるものでなければならない、と意を決したのです。」

代表代行
 まあ、他の教団ではサラリーマンのように転勤がありますので、既に何人かの信者さんが居るところへ転勤していきますので、そういう意味での思いを楳木代表は仰ったんだと思います。
 資料を作っておいたのですが、数が足りないので、二人に一部で見て下さい。
『メシヤ様の御垂示 浄霊の仕方』
私は楳木代表と違って教えることができないので(笑)、皆さんと一緒で学び合いたいということで、自分が勉強するのにどういう風にやっているかということを紹介しておこうと思って研鑽資料を作りました。
『メシヤ様の御垂示 浄霊の仕方』の方です、A4横の少し分厚い方です。
自分がどういう風に勉強しているかというと、例えば、事例として抜粋で御教えが出ているとすると、時々何のことか解らなくなる時がありませんか?例えば82ページでしたら、『御垂示録第15号昭和27年11月1日』とどこから抜き出して来たかと出所典拠が書いてありますので、それを調べればわかります。それを調べることをしているのですが、82ページから84ページまでひとつずつ『御垂示録何号と』付いてないという事は、ここまでの抜粋が全部同じ御教えからの抜粋だという意味です。ここのところは校正しましたか?

参加者
してないです。

代表代行
ここのところは校正してなかったかもしれませんが、皆さんに分かってもらおうと思って、こういう書き方になっておりますけど。すみませんね、話し下手なもので(笑)。

参加者
緊張してるんやね。

代表代行
横から喧しいね(笑)。ワードをPDFに変換すると、これまた印刷の問題ですけど、鍵カッコとかコンマとかズレるんです。だから、一部消してあるんです。スペースが多かったり、カッコがなかったりしていると思います。文字が重なって見難かったので消しました。そういう見方で見て下さい。
それで、『天国の福音書続篇(三)入門と奥座敷』85ページのところで、
【お伺い】「太陽、月、地球の呼吸運動は夫々如何なる影響をお互いに及ぼし、又人間に何か関係がありませうか。」というところで、自分的に分かり難かったので、呼吸運動についての御教えをちょっと引っ張ってきたという事で、資料の方の1ページ目の呼吸運動『元来肺臓は呼吸運動によって人間生体内に必要量の空気を吸収する機能である。故に肺臓内に固結が出来たとすれば、それだけ空気の吸収量が減殺さるる訳である。従って呼吸を頻繁に行わなければ一定量の空気の吸収は出来ない事になる。例えば十の必要量を二の防〔妨〕害物によって、八だけしか吸収出来ないとすれば、百の空気を吸収する為には十回呼吸すべき所を十二回半呼吸しなければならないという訳である。』『肺結核』『明日の医術(再版)第一編』昭和18(1943)年2月5日発行
の御教えで言った方が分かり易いと思ったのと、
【御教示】の所で、これ間違いだと思うのですけど、『心臓の鼓動、月の盈虧(えいか)』とありますけど、盈虧(えいき)じゃないかと。どう思います○○さん?

参加者
難しい漢字ですよね。

代表代行
研鑽資料に載ってますけど、盈虧(えいき)しか載ってなかったのです、辞書を引いたけど。
① 月が満ちたり欠けたりすること。
② 物事が栄えたり衰えたりすること

というのを盈虧(えいき)と言います。ここは引き合わせる原稿がなかったので、校正としてはそのまま載せたのですが、これはまだ先生と話していないのですが、辞書でみると、昔盈虧(えいか)と言っていたのかどうか、ちょっと分からないですけど、盈虧(えいき)しか出て来なかったです。

【御教示】『この関係を人間の身体で言うと太陽の出没は心臓の鼓動、月の盈虧(えいき)は肺の呼吸、地球の四季は胃の蠕動(ぜんどう)とも言うべきで、心臓は太陽の霊気を吸い、肺は月の精気を吸収し、胃は土の精分を採る。これが医学の根本である。』

この蠕動(ぜんどう)って何?って思いますよね。
そこで、これ調べておきました。

① ミミズなどの虫が身をくねらせてうごめきながら進むこと。また一般にうごめくこと。
② 肉の収縮波が徐々に移行する型の運動。消化管壁が食物を送る運動などに見られる。

『心臓は太陽の霊気を吸ひ』『心臓は霊気を吸う、太陽の霊気を主として吸う』

貝原益軒の養生訓という本をメシヤ様は読まれたらしいですけど、漢方の方では胃を根本としている。西洋医学の方では肺を重視しているので、結核などになった場合は空気の綺麗な所へ転地療養をするとか、私も空気の綺麗な所に移って来たのですが、それは体的な話であって、霊的に浄まったところに行くという事が書かれています。

 それから、87ページには『高天原』というのが沢山出てきます。高天原は何処にあるのでしょうか?

【問】心の中に魂がある事は判らせて頂きましたが、その魂は体の何処にあるのでせうか。
【御教示】『人体は腹の真中と前頭部の奥とで天と地となり相通じ合ってゐるのです。ですから高天原は人体で云へば眉間です。』と出ていますけど、別の御教えでは『神仏を拝む心が高天原といふ、心に高天原を築かなければいけない』という御教えもあります。『此心が高天原で信仰心のない人は曇ってゐて、未だ高天原が開けてゐないのであります。』というのもあります。研鑽資料には載せております。

【問】人間は宇宙の縮図と申しますが、人体の各部分は宇宙の或部分に当はまるものでせうか。
【答】『之はあてはまりますね。一番よく判るのは目ですね。目は日月になってゐて、左が太陽右が月ですね。左が霊で右が体です。去年或人が目を悪くしたんですが、右はよくて左が見えなくなった。そこで私は「要するにあんたは物質的な面ではいいんだが、神様の事が未だ判らないからだ、つまり私の事がよく判らないからだ」と言ったんですが、それから改心してよくなりましたがね、そんなもんですよ。額は天の高天原だし、臍は地の高天原ですよ。人間の体をよく考へてみるとよくあてはなりますよ。その他の所は自分で考へれば判るでせう。』

研鑽資料ですが、右が宇宙の写真です、左がねずみの脳細胞。よく似ていません?これはネイチャー誌に発表されている写真です。これはねずみではありますけど、人間の脳細胞も同じような感じだと思うのですけど、そういう意味でも御教えが科学で証明されてきていると言えるのだろうなって思い紹介させて頂きました。

何か浄霊の急所を知りたい時にこういう風な調べ方をして御教えを基にですね、何処をご浄霊したらいいかということを勉強して、それから浄霊をするようにしています。経験していけば、読まなくても浄霊の急所が判って来るのだと思いますけど、そんなようなやり方を私はしています。
また、こういう『浄霊法講座』という本があります。今は出ていないですね。○○さんは持っていますか?

参加者
持ってないですね。これはメシヤ教で編纂されたのですか?

代表代行
この本ですか?この本をまとめたのは、多分世界救世(メシヤ)教時代の先達だと思います。

参加者
回していきましょうか?

代表代行
そうですね。これは元々10巻あったのをメシヤ教で内部資料として集約しました。4ページ分を1ページにまとめたんですね。浄霊の急所を先達が結構勉強して、御教えを基に引っ張って来たので分かり易くできています。。今『医学革命』については大阪支部でまとめています。科学的な論文をくっ付けて。この『浄霊法講座』は御教えのみの掲載です。

参加者
婦人病は婦人病でまとめてあり、胃の病気は胃の病気でまとめてある、そんな感じです。

代表代行
でも、ちょっと大きいのでね。10冊分ですからね。
さて、皆さん、自由に話をして頂いて結構ですよ(爆笑)。

参加者
今回は非常に幅が広いからね。

代表代行
そうそう、何を話していいか、難しいものがあるもんで、学び合いですから。
難しいことは来月、先生にご質問して下さい。
それから、研鑽資料に「向上」についてってありますけど、何で向上についてなんだろうって思いますよね。これは、さっきの楳木先生のメールの中で、今度は地上天国祭で、『世界救世(メシヤ)教教義』の拝読と楳木代表挨拶の時に『神権の善』『主神様とメシヤ様』の101ページに掲載されているのですけど、それを拝読して下さいという話があったものですから、私が読まして頂くのですけど、それで、「練習をして来て下さい」ということがありまして、その続きで、「実はメシヤ様は非常に急がれており、向上を切望されております。先ず私に対してそうでありますので、上記の御教えを基に取り次ぎたいと考えております。」という話がありました。『神権の善』については地上天国祭でお話がありますけど、その時に向上を切望って、向上って言っても、どんな向上?って思ったんで、向上について調べてみました。なんか、自分の勉強の押し付けみたいになって心苦しいのでありますけど(笑)・・・。向上って言っても色々ありますので、色々メシヤ様は教えて下さっているのですね。『向上すれば神のごとく、堕落すれば獣のごとくになるのは世間をみてもよく分かるであろう』とか、『向上』で調べても、赤文字で変換しておりますけど、
 
箱根清談 『光』17号、昭和24(1949)年7月9日発行
『以上の意味の外、期待するところのものは日本人の情操を高める事であり、平和的に優秀民族である事を顕示させると共に、忌わしき侵略国の汚名を一日も早く払拭するにあるはもちろんであるが、今一つ企図するところは美による人心の教化である、なる程教育も必要であり、宗教も道徳もなくてはならない存在であるが、それのみでは人間を向上させる事の困難である事は、今日までの経験によってまことに明らかである、従って私は今日までほとんど試みられた事のない、美による人心教化を目的とした方針をもってするのである。』

美術館の事を仰っていると思いますが、美による人心の教化という事をメシヤ様は仰っておられます。次は『花による天国化運動』について書かれております。

花による天国化運動『光』8号、昭和24(1949)年5月8日発行
『本教の目標である地上天国建設というその地上天国とはいかなるものであろうか、言うまでもなく真善美が完全に行われる世界である、もちろん本教の生命である健康法も無肥料栽培もその具体化であり、また浄霊法は肉体はもとより精神的改造でもあるが、それとは別に人心を美によって向上さす事も緊要である、美については差当って今着手の運びになっている本教の新しい企画である』

病気の原因と罪穢 『新日本医術書』昭和11(1936)年執筆
『人間が一度現世を去って、死の関門を通過するには、肉体という衣を脱ぎ棄てるのである。人間の肉体は現界に属し、霊体は霊界に属しているものであるから、肉体が病気又は老齢の為に、頽廃(たいはい)して使用に耐えない以上、精霊はその不用化した物質である肉体を捨てて霊界に往くのである。そうして霊界において再び現世に出生する準備をしなければならない事になっている。その準備とは浄霊作用である。しかるに大部分の人間は、生存中における罪の行為による穢が相当に多いので、霊界においての厳正公平なる審判に遇って、大方は地獄界に堕ちて行くのである。地獄界に堕ちた精霊は、罪に対する刑罰の苦難によって、僅かながらも一歩一歩向上してゆくのであるが、その際罪穢の浄化による、残渣(ざんさ)とも言うべき霊的汚素が、現世に生を営みつつあるその子孫に向って、絶えず流れ来つつあるのである。それは祖先の綜合体である子孫の個人が、罪穢を分担するという、一種の因果律的贖罪法である。これは万物構成における主神の神律である以上、いかんともし難いものであって、人間はこれに服従する以外、何事も出来得ないのである。それはこの霊的汚素が、人間の脳脊髄へ向って絶えず流動し来り、その汚素が人間の精霊に入るや、忽(たちま)ち物質化するのであって、その物質化が膿汁である。これがあらゆる病原となるのである。』

これは非常に深い御教えだと思って大分線を引っ張っておりますけど、『向上』という事を調べてもこういう御教えが出てきまして、先祖から流れてくるものが結構あるという事で、膿なんかも神律ですもんで、いかんともし難い。浄化の基を辿ればそういう事もあるということも知っておいた方がいいと思います。

病気の原因と其解消『病貧争絶無の世界を造る観音運動とは何?』昭和10(1935)年9月15日
『この様に精霊の曇りが浄められるという事は、遡(さかのぼ)れば、祖先の罪が赦されるという事になるから、地獄界に苦しんでいた祖霊達が向上して、天国へ救われる事になるので、その信仰の徳は予測出来ない程の洪大無辺なものである。』

向上でも、ご祖霊様の向上について書かれております。どう思いますでしょうか??
そういうてもね(笑)。

歌集「山と水」に就て『救世』61号、昭和25(1950)年5月6日発行
『いつも言う通り、信仰の目的は魂を磨き、心を清める事であるが、その方法としては三つある、一は、難行苦行や災害による苦しみと、二は善徳を積む事と、 三は高い芸術によって魂を向上させる事とである、以上の中、最も簡単で、捷径(しょうけい)なのは高い芸術による感化である、しかも楽しみながら知らず知らずに磨けるのだから、これ程結構な事はあるまい。この意味において、山と水の和歌を暇ある毎によむ事である、それによって知らず識らず魂は向上する、魂が向上すれば智慧証覚が磨かれるから頭脳が明晰となり、信仰も楽に徹底する、それというのも山と水の和歌ことごとくに真善美が盛り込まれているからである。
以上のごとく、私の目的は、言霊の力によっても信仰を、進めんとするのである。』

だから言霊の力によって、信仰を進めておられる。和歌と御書もそうです。文字による救いというのもあります。『山と水』ってご存知ですかね。

参加者
全集の詩歌集にありましたよね。

代表代行
次のところは大事かなって思ったんですけど、メシヤ様を思うだけで向上するという内容です。

御講話(S27年7月6日)『御教え集』12号、昭和27(1952)年8月15日発行
『それからこういうこともある。家に帰ったり、他に行ったりした時、どうか すると箱根を想い出すのです。美術館は良かったな――と想い出すと、霊はこっちに来るのです。そうすると霊線は伝わりますから、そこでやっぱり浄められる ――こういうことになる。だから信者さんなんかでも――信者さんは一番私を想うのですが、そうするとそれだけ浄まる。向上して行くのです。』

メシヤ様の事を思えば向上していくという事を教えて頂いております。

参加者
深いですね。

代表代行
次は、御神書を読むということなんですけど、

御講話(S27年10月6日)『御教え集』15号
『そこで人を助けるには、やっぱり話や説明やなにかが上手くできなければならないから、そのために御神書を読む。また御神書によって、いろんな真理を知りますから魂も浄まります。それとともに人を救う力もそれだけ出ます。そうして人を救い、喜ばせながら、自分も向上するということになるのです。大本教のお筆先におもしろいことが言ってあります。艮の金神は神代の時に人から嫌われて押込められたのです。それで、「今に返報返しを致すぞよ」……仇討ちです。それだけでは神様も人間みたいですが、けれども「艮の金神は喜ばして返報返しを致すぞよ」そういうのがある。喜ばして返報返しをするというのが非常におもしろいです。仇討ちといっても、忠臣蔵のように上野介の首を取るというのではないのです。先方を喜ばすというのですから逆です。これが本当です。』

何か仕返しをするというのを、そういうのは反対に相手を喜ばして、相手を救うという、喜ばして返報返しというのが、メシヤ教の救い方ですよ、という事ですよね。
それから、最後の御教えは長いですけど、重要なので、全部拝読させて頂きますけど、非常に深いと思うのです。

(御論文『幸運の秘訣』)【栄光 二四六号】
『それで、百八十段という層になっているのですから、その層の居所によって運が良い悪いになるのです。この層の良い所は良いことばかりが流れているのです。そこのところは神様は実にうまく作ってあります。低い所は悪いことだらけなのです。悪いことが満ちているのです。上層になるとそれがだんだん少なくなり、今度は良いことに変わってくるということになっているのです。そういうようで、人間はどこかにいるのですから、良い方にいるようにすれば、そこに行けば運が良くなるに決まっているのですから、なんでもないです。よく方角が悪いとか良い家が見つからないとか、いろいろなことがありますが、それは霊界の居所が下ならどんなに良い家に住まおうと思っても、そこの世界には良い家がないのだから見つかるわけがないです。霊界の層が上に行っていれば、今度は、探さなくても見つかるようになります。そこに住まわなければならないことになっているのです。それが運命です。ですから、よく支部を作っても発展しないと か、どうも信者ができそうでできないということは、自分の魂の居所、霊の居所が低いためです。それからまた、どうも自分は一生懸命に信仰しているが、親父 は反対ばかりしている、あるいは伜(せがれ)がぜんぜん分からないということは、自分自身の霊的位置がまだ低いからです。それで自分自身の霊的地位が高け れば、他の者もどうしてもそこの所に引き上げられるのです。というのは、親父でも伜でも、みんな霊線が繋がってますから、親なら親の枝ですから、親がずっと上に上がると伜もそれについてゆくわけです。そうすると話をしてもよく分かるわけです。ところが自分自身の地位が低いからして、いくら口を酸っぱくしようと、気をももうと、あえて効果がないわけです。
ですからそれには自分の霊的位置が向上するということが必要です。それには、一人でも多くの人を助けて、神様の御用をすることで、それによって自分の曇りが減って、そうすると霊が軽くなるから上に行く。上に行くから、他の枝でも縁のある人でも、自然にそれについてくるわけです。だからすべて思うように良くなるというわけですから、結局において自分にあるのです。それからまた、こんなにしても自分は苦しいことや災難がいろいろあるということは、それはまだ霊に重い点があるからして、神様が軽くしてくださるために、軽くするには人を救うか、もし救い方が足りなければ自分が苦しむかで、このどっちかで曇りが取 れるのですから、その点さえ分かれば、世の中は決して難しくもなんでもないものです。結局、一切は浄化作用です。それで浄化作用とは一つの掃除ですから、ゴミがあると、どうしても掃除されなければならないことになっているのです。稲の虫害というものも浄化作用です。硫安をかけたり糞をかけたり、肥料を入れたりするから、そういう物を浄化させなければならないので、その浄化させる役目というのが小さい虫です。それで虫が生まれて毒を食うわけです。ズイ虫にしても、ズイを食うということは、ズイに肥毒があるからして、それを掃除しなければならない。そうするとその毒を食うが、毒が葉や茎に深くくっついているから、ついどうも葉や茎まで食わなければ追いつかないから食うのですが、それが虫害なのです。だから分かりきった話です。それで結核だとか、いろんな病気の黴菌というものも、そこに薬毒があるから薬毒を掃除しなければならない。その掃除夫です。私の古い本に書いてありますが、その掃除夫が自然発生して、それが食ってゆくわけです。結局あらゆるものが浄化作用だから、そういった汚れ、穢いものを溜めないように、入れないようにして、きれいにするというようにすれば、必要がないから虫もわかないし、なにも悪いことはないわけです。だから浄化作用というものは一切にあるのです。これを大乗的に言うと、もっとおもしろい浄化作用があります。仮に、火事で焼けるのは無論そうですが、泥坊に盗られるとか詐欺師に引っ掛かって瞞されるとか、それから最近の問題の保全経済会とか、いろんな貯蓄で損をする人がたくさんありますが、これはやっぱり浄化作用です。その人の持っている金の中に非常に汚い金があるのです。そういう金は どうしてもその人が持つことができないので逃げてしまうわけです。こっちにそういった汚い金があるからして、誰かがなにかの手段でその人から取るという、一つの浄化作用によってそうなるのです。だからああいったものも、そういった一つの浄化機関になっているわけです。そうすると、そういうものも必要ということになりますが、これは必要不必要ということでなく、すべて汚いものはきれいにするというように、神様がこの世界を造られたのです。だからそれを本当に 分かるということは大乗的見方なのです。ところがこれはあんまり私が話をしないというのは、その話をすると泥坊も必要だということになります。間違えますから、こういうことは腹の中で覚ることです。』

凄い御論文だなって思いまして、ご紹介しました。結局自分ですよ。という事です。深い御教えだなって思います。研鑽資料の説明は以上です。
何か感じることあればどうぞ。

参加者
非常に基本的な質問なんですけど、この『天国の福音書続篇(三)入門と奥座敷』の中で浄霊の仕方箇所についての絵がありますが、濵口さんのご経験から、浄霊の仕方のアドバイスを頂けたら有難いのですが。この絵のように順番に上から中心、左、右というようにでいいのでしょうか?

代表代行
そうそう。全然気にしないのですけど、色々と楳木代表は試されたようで、頭から中心を上から下に、それから左という風に浄霊するのがいいのか、上を先に中心左右という風にする方もおられたので、ちょっとこの基本的な所を書いておこうかと、いうことで書かれたわけです。だから、別にこれは本当に基本的なんで、さっきの浄霊の仕方の所で、メシヤ様の御教えを掲載してあるというのは、触って痛いところ、熱のあるところを中心にという御教えが出てきますし、触る行為というのは今は、家族間とかはいいのですが、他人にはちょっと問題があるので、勿論自己浄霊は触ってすればよいのですが、後ろの御教えだけを読んでいると、触るんだと思って普通に触ってしまうのではないかと、ちょっと怖いと思ったんです。それで、浄霊法の変遷というところで、『浄霊法変る』という御教えがありまして、

『浄霊法変る』『栄光』84号、昭和25(1950)年12月27日発行
『今回、御神示により、浄霊法が変る事になったから、今日以後その通りにされたいのである。これは霊界が最近非常に変って来たためで、それに基づいた事はもちろんである。今までの浄霊法は、どちらかと言えば、霊と体との両方が加味されていた。というのは掌から霊を出す場合、ある程度力が加わったのである。力すなわち体であるから、それだけ霊の力が減ずる訳になる。もっとも今までとてもそうではあった。一生懸命になる程効果が薄かったのもそういう訳である。ところが、今後はそれが著しくなり、絶対体的力を抜き、霊のみを放射するのである。これを詳しく言えば、神霊の光が私から霊線を通じて、みんなのお守に止どまり、お守からその霊光が掌を透して、病人の患部へ放射されるのであるから、これからは出来るだけ、力を入れないように、軽い楽な気持ちで霊を放射すべきである。この方法でやれば非常に治りがよく、今までよりも五倍以上の治病効果を奏するのは、確かであるから、御神業は驚く程発展する事になろう、従ってその積りで迷わず臆せず、私のいう通りにすればいいのである。これというのもいよいよ時期切迫し、人類救済を促進され給う御神意に外ならないのである。なお詳しくは、言葉でないと解り難いから、面会の時説明する事とする。』

それは手を離して浄霊をしなさいということで、その方が力が抜けて良いですよということで、昔はこうして触れてした時期もあったし、もっと前の時期には扇子でやっていたとかもあったんですけど、色々と変遷してきて今の浄霊の形態になって来たのです。触らないで、離して浄霊するのが基本ですので、触って痛いところを探すというのは、探査という事だと思うのですけど、○○Aとかはやっているのですか?そこをどのように捉えてやっているのか。よく分かりませんけど。自分でやるんですよね?医者がやる?

参加者
最初は探査をしてチェックをするのですけど、問題が色々あるとなると、後は自分で探査をするとかしていきますね。

代表代行
そうですね。はっきりとどこかが浄化しているとかいう時は、急所的にそういう所があれば、これにこだわることはないので、これをした上で、急所を重点的にすることになると思いますし、前と後ろだったら、後ろを重視するというのもあります。後ろというのは人間は大概仰向けに寝るもんで、毒素、薬毒が重力の関係で背中に集まるので、背中の方を重点的に浄霊をする方が良い。だから、最初に書いてあるんですね。後ろの方は急所的なことを捉えて書いておられますけど。だから、これだけでは分からないと思いますので、体験談とかで浄霊の仕方を参考にするとかして浄霊をした方が良いかなって思いますね。先生は色々と浄霊されその体験から書かれていると思います。

参加者
初めて、浄霊と言っても、どういう風にやるかわからない場合にこの本を見たらそのやり方の基礎が分かり易いとおもいます。例えば延髄とか言ってもどこが延髄なのか判らないってありますよね。そういう時にこの絵で確認ができるので、そういう意味で書かれているのだと思います。

代表代行
そうですね。例えば、先ほど天帝というのがありましたが、眉間のところ。○○会の方では天帝が急所だと、メシヤ様から会主の○○○○○先生が浄霊の急所を直接教えてもらったというのが天帝と脳天ということで、ここばっかりという浄霊という事ですが、今もそうかわかりませんが、駅前で浄霊させて下さいとか、天帝と脳天だけで昔は2~3分の浄霊でよく治っていたそうです。しかし、それは脳性の病気を治す急所を教えて頂いたということでしたが、それを全ての浄霊の急所として天帝や脳天を一点のみ集中して、一点に絞る方が分かり易いので、そういう布教をしていったみたいです。しかし、それだけをメシヤ様は仰っている訳ではないので、その人に対する急所はそうだったかもしれませんが、御教えを読むときに一部を抜き出しておりますので、そこだけを読むと間違えることがあるので、いつ書かれているか、前後の背景、誰に御垂示されたのか。御垂示録と御講話集では話されている人が違いますので、御垂示は教師に対して、御講話集は一般信者に対して仰っており、どういう場所でお話になったかでお話のされ方も違うので、内容も変わって来るので、だから、同じことを仰っているけど、教師に対しては厳しく、『そんな生半可なことで教師がつとまるか!辞めてしまえ!』と厳しい御指導もされているし、新入信の新しい人には優しく御説き下さっているので、拝読する時はそういう背景を考えながら御教えを拝読しないと、メシヤ様はこう仰ったのだと、一つの御教えだけを捉えてしまうと、解釈で間違う事がありますので、注意して欲しいと思います。色々と調べることが大切だと思います。
丁度時間が参りましたので、終わりたいと思います。

<来月の御教え>
『本教の誕生』(昭和二十五年十一月二十日)
本文は『天国の福音書続篇(一)神観 主神様とメシヤ様』19ページに記載されています。
『本教の誕生』は平成28年7月に拝読し学び合う御論文です。

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