救いの三本柱(三救)Three Pillars of Salvation

メシヤ講座・三重 第100号 平成28年3月度



楳木代表
この御神前で月次祭を執り行わせて頂くのが今日で最後になりますので、今日までの御礼と、それから来月から新しい所で、三重支部の月次祭を執り行わせて頂くことに対する御守護をお願い申し上げました。また、5年前の丁度今日、東日本大震災が発生いたしましたので、その犠牲になられた方々を、何とか御救い賜るよう、メシヤ様にお願い申し上げました。それで少しお祈りの時間を要しましたけれども、この御神前でもう八年間、こうして勉強させて頂けたこと、本当に有難かったと思います。

それから、大きく御神業を担って頂きまして、取り分け大切な刊行物の校正の御用を担って頂いたお蔭で、今回もこうしてですね、『入門と奥座敷』という立派な本を出版することが出来て、本当に有難い事と思います。いよいよ支部が新しい所に移ることとなって、また御神業内容を今日、濱口さんにお願いしたので、しっかり支えて頂きたいと思いますので、よろしくお願いします。


◎教義に基づいて、世界救世(メシヤ)教の復興を推進し、メシヤ様の御神格に直に繋がることによって、多大なる恩恵を賜ることを広く伝えていく


楳木代表
それでは、本日拝読して頂きました、『開教の辞』、『世界救世(メシヤ)教の誕生に就て』の冒頭にですね、

『昭和廿二年八月三十日、宗教法人として創立された日本観音教団並びに同二十三年十月三十日同じく創立された日本五六七教会は』

と書かれております。それぞれの教団について、教義を中島一斎先生も渋井總斎先生もお作りになって、その教義どちらとも、やはり主神様に対する認識が非常に強かったという事であります。それにも拘らず、現在Sさんが所属していた、東方之光教団はこの日本観音教団の流れでありますし、いづのめ教団の方は日本五六七教会の流れでありますが、その両教団共、主神様に対する認識が深められないまま、今日を迎えております。しかも、主神様の御経綸については、人間の都合によって解釈した経綸を前面に出して来て、信者さん方を他所(よそ)の方角へ導いてしまっているので、この『開教の辞』を拝読すると大変申し訳ないことを積み重ねている事を強く感じさせて頂いております。それだけに、私達はこの『世界救世(メシヤ)教教義』に基づいて、一層「世界救世(メシヤ)教を復興する」ということと、「メシヤ様という御神格に直に繋がることによって多大なる恩恵を賜る」ことを広く伝えていく取り組みを一層進めさせて頂きたいと思っております。最初の段落はそういう風に受け留めて頂ければ、大変有難いと思います。


◎仏滅というのは、仏が滅びるという事ではなくて、元の御位に戻られるということ


楳木代表
しかも

『之は、非常に重大な意義があり、勿論(もちろん)神の深き御旨(おぼしめし)に由(よ)るのであって、人間の意図でない事は今更言うまでもない、何時(いつ)も吾等(われら)が唱える処の、霊界に於(お)ける夜昼転換の時期に愈(いよい)よ入ったからである、之も吾等が常に言う処の仏教の救いは夜の期間中であるから夜の消滅と共に観世音菩薩の御救いの転移進展となるので、一言にして言えば仏滅を意味するのである、従而(したがって)、観世音菩薩の御働きも救世主(メシヤ)のそれとなるのは勿論(もちろん)である、即(すなわ)ち化身仏であらせられた観世音菩薩は茲(ここ)に仮面を脱いで、御本体である神の御働きとなり給(たも)うのである。』

と。この、『化身仏であらせられた観世音菩薩は茲(ここ)に仮面を脱いで、御本体である神の御働きとなり給(たも)うのである。』の文章は、今年1月まで『文明の創造』を学んできたからこそ、この一文を理解することができる訳です。

化身仏とは一体何かという事を考えていくと、三千年前に、素戔嗚尊が朝鮮から押寄せてきて、そして、当時日本を徳によって治められていた伊都能売神皇様は、日本人の生命を慮(おもんばか)って、急遽、御位を天照天皇にお譲りになって、そしてインドへ下って行かれて、仏としてお救いを展開されたということです。

この化身仏になられた観音様が元の御位にお戻りになる、というのが、この『夜昼転換』の一番要になっております。その仏滅というのは、仏が滅びるという事ではなくて、元の御位に戻られるということなのです。ですから善言讃詞の中に「救世の神館霞みつつ」とかいう表現に『多宝仏塔』を変えてしまったという、メシヤ様の弟子でありながら、非常に浅知恵によって、「昼になったので『多宝仏塔』を消して「神殿玉楼」にしていこう」と、そういう風な判断をしてしまって、それを決行してしまったという事は非常に残念でならない訳です。如何に御教えを十分受け止めて御神業を進めてなかったかという事が明らかになるところであります。

しかも化身仏で在られた観音様を中心にして、仏教が花開いたことと、仏教美術が非常に花を開いて実って来ている訳ですので、その仏教美術の言わば粋と言われている『多宝仏塔』を高く評価しない限り、この一文に沿ってものを考えていくということには繋がっていかないですし、この『多宝仏塔』を考えていくと、建築界から見ていくと、あの建築方法、日本の建築方法の素晴らしさということが、また、あの形の中に工法として出ております。そうしたものをひとつひとつ吟味して深く見詰めていくということが、この一文から我々がさせて頂かなければいけないことである、という風に受け止めて頂ければ大変有難いと思います。


◎『人類の罪穢の清掃作用が行われなくてはならない。』浄化を許されている方々はこの一文を絶えず唱えて生活をしよう


楳木代表
『以上の如く霊界が昼となる以上、之が現界に移写するに於ては、夜の文化は当然不用なものは滅び有用な物のみが残る事となるのは当然である、それのみではない、長年月に渉る暗黒時代によって人類の罪穢の少なからず堆積せる以上、それの清掃作用が行われなくてはならない。』

この『清掃作用が行われなくてはならない。』という、この一文によって今?口さんは浄化をしているのです。正に。大変有難い。それで、浄化を許されている方々もこの一文を絶えず唱えて生活をして行かないといけないということですね。


◎自分の因縁使命を受け止める


楳木代表
Sさんも発表して頂いたけれど、いよいよ青年期に自分の進路を決めようとした時に顔に浄化が出て来て、そして、そっちの方向には進めなかった。これは何かというと、自分の魂が、ここに『入門と奥座敷』の107頁『人間とは』の2段落目に

『そうして神は一人一人それぞれの使命を与え、特徴を持たせ、生き変わり、死に変わり、理想目的に向かって前進せしめつつあるのである。』

という、その使命、特徴というものを、残念ながらその時期に深く親が信仰していて、次も信仰を受け継いで、そして自分が更に受け継いだ時に、この姿勢で人生を見つめさせる方向へ当時の指導者が導いてくれなかったので、その時非常に苦労をしたということです。

だから、そういう謂わば、犠牲者の一人として、ここから自分がそういう過ちを犯すようなことがない方向に関係する人達を導いてあげよう、という精神を今回、3月3日の私のお取次ぎを通して、そして今こうして勉強することによって、そちらが自分の因縁使命なのだという風に受け止めて、また新たに歩んで頂きたいと思います。


◎大浄化をしないと、真の御神業を担えない


楳木代表
濱口さんは見ての通りの大浄化なので、この浄化をしないと真の御神業を担えない、という風にメシヤ様は仰っておられる位なので、だから今日新たに御神業が(笑)スタートを切ってしまった(笑)。又それを奥さんは支えないといけないから(笑)

受講者
そうなのですか(笑)

楳木代表
ひとつよろしくお願いします。それは大変なことね(笑)。


◎今やメシヤ様の御教えをやっと理解できる時代を迎えている


楳木代表
そして、

『右の滅ぶべき不用物とはこれを指して言うのである、しかもそれと同時に昼の文化の建設が開始さるるのである、かくのごとき空前絶後の一大転機とは、何を指すのであろうか、全く何千年否何万年以前より決定していた神のプログラムなのである。』

と。この『神のプログラム』は先月丁度三重支部の為に、重力波を前の夜に発表してくれましたのでね。大阪まではあの重力波の発表はなかったので、お取り次ぎすることはできなかったので、今月復習的に話をしないといけなかったのですが、三重支部は幸いなことに丁度前の日に大きく報道されたので・・・。13億年前に二つのブラックホールがひとつになった時に起きた重力波が13億年かけて地球に辿り着いた、という内容を確認すると、この『何千年否何万年以前より決定していた神のプログラムなのである。』という、そのプログラムを認識するということが世の中で起きて来ているので、“今やメシヤ様の御教えをやっと理解できる時代を迎えている”という風に認識させて頂ければ大変有難いと思います。


◎世界救世(メシヤ)教を復興するということは、救世の大業の使命達成の機関として運用される教団を復興するということ


楳木代表
そして次のページにいくとですね、

『しかしながら右は止むを得ないとしても神の恩恵は、一人でも多く滅ぶるものを救わせ給わんとして、神の代行者を選び救世の大業を行わせ給うのである、またその使命達成の機関として運用されるのが本教であるから、本教の使命たるや実に大なりというべきである、』

このご認識に立ってメシヤ様は御出現されて、そして、メシヤ様の御手足となって私達は選ばれて、今御神業に臨ませて頂いている訳なのですが、この世界救世(メシヤ)教を復興するということは、『使命達成の機関として運用される教団を復興する』ということでもありますので、そういう認識に立って「世界救世(メシヤ)教復興推進教団」という名前を付けた理由をここでよく認識しておいて頂ければ大変有難いと思います。

そうすれば、必ず『その結果吾らの唱導する地上天国こそ最後の目標でなければならないのである。』となります。そして、ここで一言皆様にお詫びをしないといけないのですが、『私は、これまで顧問の名の下に、いわば蔭にあって経綸を行っているが』となっていますが、『経綸を行っていたが』なのです。

支部長代理
そうでしたか。

楳木代表
そう、前の『祈りの栞に寄せて』は『経綸を行っていたが』になっているので、たぶん、こちらに製本する過程のどこかで、ソフトが・・・。今片付けてしまっているから、赤字を入れた所を確認したかったなと思ったのですが、私も途中で見付けたので。岡山支部で「ここ読んでいるとちょっとおかしのですけれど・・・」というところから、そういえば『た』だったと。『行っていたが』と。ここは訂正しておいて下さい。

支部長代理
分かりました。

楳木代表
『経綸を行っていたが、ようやく基礎的工作も出来上ったので、ここに表面的活動に移る事とあった訳である、端的に言えば、いよいよ本舞台に登場する事となったのである、従って各般にわたって漸次組織形体はもとより、活動の形式も新しく生れるのはもちろんである。』

このようにして本来整えて行かないといけなかったのですが、この御発表の後、直ぐの5月にメシヤ様は御法難に遭われたので、この事が出来ずに来てしまったということです。その為にメシヤ様御昇天後、教団は大きくおかしくなってきた要因のひとつがこれにある訳なのですね。そして

『祝詞にもあるごとく観世音菩薩、光明如来、メシヤ(救世主)、弥勒神等も、御名は異なれど同一の御神霊である以上根本は変るのではない、いわば時期に応じて御神霊の活動範囲が拡充するのであるから、御神体も御守りもある時期まではそのままで差支えない、いまだ種々発表したい事もあるが、時期の推移に従って漸次発表する段取りとなるので、今はこの辺に止めておくのである。』

ということですので、御守りのことも御神体のこともこの時点では直ぐに変更はなされなかったのですね。しかし、この時に一挙に弟子達が、それではメシヤ様によって御神名を確定させられたので、「どういう御神体にされるのでしょうか?」あるいは「参拝形式はどのようにさせて頂いたら宜しいのでしょうか?」ということで、話を詰めてくれていればもうちょっとキチンとなっていたのではないかと思います。

◎世界救世(メシヤ)教の名を付けた所以(ゆえん)

楳木代表
『最後に言わなければならない事は、これまでは観世音菩薩の御働きであったから、言わば東洋的であった、しかるに時期切迫のためどうしても一大飛躍によって全人類を救わなければならない、とすれば世界的に拡充する必要がある、世界救世(メシヤ)教の名による所以(ゆえん)である。』

ですから、世界救世(メシヤ)教の名を付けた所以(ゆえん)はこういう事でありますので、私達の頭をより一層柔らかくしながら進めていかないと、今拝読した段落内容というのは中々理解できないのではないかなって思います。


◎相当頭を使わないと争(あらそい)はなくならない


楳木代表
先月もお話ししましたように、私達は病貧争絶無の、そして健富和の、真善美の完き恒久平和の理想世界実現を目標として『精進邁進する』為に、こうして信仰をさせて頂いておりますので、頭を柔らかくしないと、病貧争の争を解決することが出来ません。争(あらそい)というのは、メシヤ様は戦争というのは精神病で起きるのだと仰っております。精神病の原因は大きく薬毒というがあります。やはり薬毒を解消していく、排泄していかなければいけないという面と、メシヤ様御自身が『私は朝起きると先(ま)ず家族の者の御機嫌はどうかということに関心をもつので・・・』と、最初に家族に気を配られていた訳ですので、ご機嫌ということが実は大きく問題がある訳なのです。

そうすると夫婦で色々言い合いが起きたりする時に、まあ、家庭の争(あらそい)が始まる訳なのだけれど、まあ、こういった浄化を頂いている時は争(あらそい)はないけどね(笑)。でも健康になってくると争(あらそい)というのは時々起きるのだけれども、その家庭の中から、あるいは地域の中から争(あらそい)を無くしていくということについて言えば、相当頭を使わないと争(あらそい)はなくならないということが言えると思うのです。

例えば、来る途中でもみんなと色々話したのですが、奥さんの場合は「主人に頼んでも全然やってくれない」とかね。言ったことは「お前やっとけ!」とか、そんなことが出てきます。そうかといって小言も奥さんはいう訳ですが、言った時に主人の機嫌のいい時に小言を言っても笑って応えるけれど、機嫌が悪い時に言ってしまうと、「なんだ!それは主人に言う事か!」という話になって来るから、その時の争(あらそい)の原因というのは頭の中で幾つか考えないといけない、瞬時にね。そうすると言ったことに対して返ってきた言葉が、きつい言葉が返って来た時には機嫌が悪いのか、それとも、こっちの言い方が悪かったのか、あるいは、ひょっとして自分の機嫌が悪くて嫌味っぽく言ったかもしれない、ということで、原因は幾つか浮かび上がってくるのです。これを瞬時に頭の中で整理して、これは今機嫌を悪いのだな。「機嫌が悪い時に言ってしまってごめんね」というような言い返しをしていかないと、争(あらそい)というのは収まっていかない。「何を偉そうに!」と、今度それを言ったら、火に油を注ぐことになるから、争(あらそい)を無くす為には頭をフル回転しておかないと、争(あらそい)は無くなっていかないのです。

で、このフル回転しない為に、精神病が起きて、その精神病が戦争を起こしている訳なのです。精神病というのは一体何かというと、一番分かり易いのは、ノイローゼはどうして起きるかというと、比べていけないものを比べるとノイローゼが起きてくる。この家を隣の家と比べて、「向こうの方がここは良いわね」といくら思ったところで、「いいわね!」って思ってもしょうがないことなのですが、しょうがないことをいつまでもいつまでも考えているとノイローゼになっていく訳なのです。そうした事は整理しないといけません。

例えば、隣の主人の年収は幾らか、我が主人の年収は幾らかとか、この年収の差によって家の造り方とか買い物の仕方とかはこの様に違うんだなあ〜とか分析をしていけば「隣は良いわね!」とかいうことは起きない訳だけれども、そこまでずっと整理して考えてないで、ただ、感情面だけで考えていくとそうした争(あらそい)が発生して来ます。それから、例えば「?口さんのお宅ってどんなお宅なのですか?」って質問された時に、答えが頭に幾つ浮かぶか?どういう風に説明しようか?何個くらい答えたら、濱口家の事が分かるかなって。例えばどれくらい頭に浮かびますか?

受講者
余り浮かばないです(笑)。

楳木代表
そうすると、「うちの夫は志摩の方の出なのですよ。志摩の親はこういうことをやっていたのですよ、もう亡くなりましたけど」とか言うと、主人の郷の事については説明することが何処に住んでいて、親はどんな仕事をしていたか、お父さんはどういう性格だったか、お母さんはとういう性格だったか、「最期はこうやって亡くなったのですよ」というのを説明するのを5つは頭にストックしておいて、「うちの主人は○○会社に勤めていましてね」そして、信仰の話が出来る人だったら、「三重支部というのを、今、させて頂いて、責任者をやっているのですよ。そこが書籍を出版する時には校正の仕事もしているのですよ。校正の仕事をより良くする為に、今校正の通信教育も受けているのですよ」と、そういうような説明をすると、夫についても5つは説明できます。

そして、次は「長男がいまして、お蔭様で結婚したのですよ。そして孫もできたのですよ。で、こういうところに勤めているのですよ。嫁ができの良い子で、○○大学行ったのですよ」っていう風にこれも5つ説明できるし、嫁の説明もそれ位できます。それから、娘についてもできるし、娘の旦那についてもできるし、最後に「自分はそういうところで主婦をずっとしています。もう大変なのですよ」(笑)。そして「いよいよ今月の22日に安濃の方に引っ越すのですよ」と説明すると、自分の家族の孫を除けて6人について5つずつ説明すると6×5=30位頭にフワ〜ッといつでも浮かぶようにしておかないと争(あらそい)というのは解決できないということです。

だから、メシヤ様の御教えの拝読をしていくと、ここに岡田茂吉全集があった時に、著述編と講話編というのがあって、講話編を拝読していくと、講話編は質問に対してお答えされる部分、特に質疑応答の時には結構間が空いていた、テープレコーダーを聞くと、『えーそれはですね。』と、『え〜』とか『あ〜』とか入っている。『え〜』とか『あ〜』とか入るときにメシヤ様は何故『え〜』とか仰っているかというと、頭の中に質問に対する答えが少なくとも五十位はわっと浮かんでおられて、その中から質問の答えとして相応しいものをひとつ選ばれて答えられる為に、『え〜』と間を取られていたのだということが分かってメシヤ様の御事蹟に触れていかないと、実は人間が目指す方向というのがチンプンカンプンの方向を目指してしまっているという事になっていきます。


◎人と会ったり、自分の事を説明する時には頭の中に50位の事柄がいつも浮かんでいるような人間を目指そう


楳木代表
これから、また、濱口さんに新たに御用を担って頂くのは、実は季刊誌を作ってもらうように、メシヤ教も法人格を得る為にですね、年4回位季刊誌を出して行かないといけないので、それを担って頂くのです。仮に今は御教えと体験記と私の挨拶を載せるという事だけで行こうとしているのですが、時々充実させていくと、誰かに有名な、特に京都にHさんの知り合いに美術に対して非常に精通している人がいるので、「MOA美術館に行ってもらってその時の様子を聞いてみようじゃないか」とかということで、インタビュー記事を書くということにしましょう。どちらかが。そのインタビュー記事を書く時に、例えば新聞の1面を開いて、2面の欄に「人」とか載ってますよね。あの人の欄を書く記者はその人に会う時に質問を幾つ持って会いに行くと思いますか?

Sさんと目が合ってしまったので。記者は相手に会いに行く時に質問を幾つ予め考えて取材に行くと思いますか?たったこれだけの記事だけど。

受講者
10とかですかね。

楳木代表
10とか。昨日は5とか言った人がいたけれどね。実は50用意しているらしい。少なくとも50用意して質問をずっとしていくらしいです。そして、それに答えた内容をあんな短い文章に纏めていくのです。そうしないと相手がどういう生き方をしている人なのか、まあ何かをやったから質問する訳なのですが、それについてはどんなことを心掛けているとか、どういう苦労をしたとか、様々なことを質問して、その中から非常に光る部分を纏めていくというのが、ああいう「人の欄」の担当者がやっていることなのです。だから少なくとも人と会ったり、自分の事を説明する時には頭の中に50位の事柄がいつも浮かんでいるような人間を目指していかないと、「私はメシヤ様に近付いて行きたいのだ」と言っても、ちっとも近付かない。だから、そういう事を心掛けていく風にしていくと、今日本人は一生涯、死ぬまでに、大体頭脳の二十分の一位使って死んでいると言われていますが、昨年ノーベル賞を受賞した人達は生涯で十分の一位は使うだろうと言われています。そうすると、自分は死ぬ時、いよいよあの世へ行くという時、自分は脳の何分の一を使って死んでいるかによって、その人の生きた価値というのが、ある意味決まるという部分があるので、今何分の一位使えているとチェックしてみるとよいです。

専門学校を受けようとした時は相当勉強したよね。バイトをして、貯蓄をして、勉強もして。その時は結構頭をフルに使っていたと思いますが、その後浄化してね、道を断念したので、頭を使わなくなったり、ボーってしていたよね。そしてまた、御教えに出会って、教団の事を考えたりして、メシヤ教に繋がる時には頭を相当フル回転し始めたと思います。そのフル回転していく状態を我々は維持していかないと、今問題の認知症に一直線に行ってしまうので、いつも頭の中に50位答えを用意しておくとか、質問事項を50位用意するとかいうことで、人生を歩んでいると認知症になる暇がない。ここは年齢的にまだ認知症を語るには結構若過ぎるけれど(笑)。まあ、そうした事を『世界救世(メシヤ)教の名によるゆえんである』という時には考えることが一杯あるのだということを、今日はひとつ分かっておいて頂きたいと思います。


◎トドメが嫌な人達の行動を着目せよ


楳木代表
『今一つは観世音菩薩は、善悪無差別的の救済であったが、いよいよ地上天国が目前に迫り来った、今日ここに善悪を立別け、善を育て悪を滅しなければならない事になった、いわゆる悪のトドメである、従って救いの力も決定的でなくてはならない、その力こそメシヤの揮わせらるる大神力である。』

ということですので、このトドメが嫌な人達が世界救世(メシヤ)教を世界救世(きゅうせい)教にしてしまったという事です。そしてしかも、更に嫌な人達が、薬を飲ませながら浄霊をさせているという事です。それが教団のトップになっている。メシヤ様が『悪のトドメをする』と仰ったけれども、「それは嫌だ」という人達が世界救世(メシヤ)教を世界救世(きゅうせい)教にしてしまったという事。そして更に、その嫌な人達が嫌の延長線上で、今の経綸は薬を飲みながら浄霊をしても良いのだ、と言っている。それはこの一点に掛かっているのだという風に判断をして着目しておいて頂きたいと思います。

今日はですね、『開教の辞』を通してこうしたことを確認させて頂いて、いつもの様に、質疑応答に入らせて頂きたいと思います。

質疑応答


◎発表の予行練習の時に先祖の喜びが伝わって来る。


楳木代表
三月三日はSさんに大役を担って頂いて、御蔭報告をして頂きましたが、そのお蔭で若い主婦層を中心にして、参拝に行く時に「ご先祖の皆様、どうぞご一緒にご参拝下さい。」という風に声を掛けて参拝をしてきたという人が今月の月次祭には大勢いたので、非常に良い感化を受けたのではないかと思います。さっき報告してくれたように、Mさんの事を発表していた時に・・・。

受講者
発表していた時もそうなのですが、予行練習をずっと家でしていた時も、自分の発表するのは自分で書いてまとめていたのですが、Mさんの報告を練習している時も何かしら別のなんか、ご先祖様が自分も参画できている、ご参拝に私と一緒にお役に立てることへの慶びみたいなのをふわ〜って感じて、不思議な感じで報告させて頂いたのですけど。予行練習の時は、よく、この様な不思議な感覚を覚えました。

楳木代表
ほー。ビックリするね。予行練習の時にそういう喜びが先祖のね。何か伝わってくるというのは。

受講者
そうじゃないかなって、自分の勝手な思いかもしれないですけど、私個人だけじゃなくって、そういう風に繋がって、喜びを感じるのかなって勝手に思うのですけど。

楳木代表
いやいや、そういう事は勝手に思っているのではなくて、勝手にご先祖が思っている訳なので、思わされている感情がこう繋がって伝わってくるのですね。非常に素晴らしい。その事は原稿にはなかったけど、あの場で言って欲しかったね(笑)。

受講者
私、アドリブに弱いんで(爆笑)。

楳木代表
まあ、本当によかったね。

受講者
蜘蛛が出てきた。逃がす?

楳木代表
ティッシュで潰して!

受講者
ティッシュで潰すのですね。

楳木代表
殺さないと、蜘蛛だけは。

受講者
はい。

楳木代表
蜘蛛だけは曇らせるから、潰していかないといけない。殺していかないといけない。家の中に出た蜘蛛だけは潰して殺していかないと。外のは逃げていってくれたらいいのだけれど、家の中に入っちゃいけないので、入った以上は潰さないと。そして、ヤモリが家の中に入った時にはヤモリに言い聞かして、「家の中には絶対に入って来るな。今度入って来たからには、命なきものと思え」と、そして外に出さないといけません。


◎神定の地に支部移転


楳木代表
Sさん、発表、本当にご苦労様でした。若手にイノベーションを与えたのでね(笑)。

それから、Iさんは初めて聞いたと思いますが、三重支部は移転します。移転先の安濃の事について、概略説明してあげて下さい。

支部長代理
安濃町安濃の1372番地なのですけど、1372、伊邪那岐(イザナギ)とも読めますが・・・(笑)。業者さんと話していて、契約を結んでいて初めて気付いたのは、字(あざ)名まで知らなかったのですが、契約の時に字(あざ)名を書くのですね。「柱」っていうのです。安濃町安濃字柱1372番地ということで、柱というのは神様を数える時には一柱、二柱という風に使いますし、神柱(かむばしら)ということも言えますし、安濃の辺りは古墳が多くて、近くに大城古墳っていうのがあるのですけども、そこから出土した土器から日本最古の文字がありまして、その文字がなんて読めるかと言いますと、「奉(たてまつる)」奉納の奉ですね。神様を崇め奉る。という意味にも取れますし、場所としては神定(かむさだめ)の土地だったじゃないかという気がします。

楳木代表
素晴らしい所にね。もう、先月は「少しじっくり探そう」と言って終わったのに(笑)、その後直ぐ、今度は不動産屋の方から話を持って来てくれた訳なので。

支部長代理
持って来てくれたというか、探しに行って、翌日に直ぐに来てくれて、“もう売れているかな”って思っていたのですが、「行けますよ」という話になって。

楳木代表
その契約の時の話もして下さい。契約をする時にその不動産業者が来た時の話をしてあげて下さい。挨拶の事。

支部長代理
そうです。未信者さんではこんなこと初めてなのですが、この御神前の次の間で契約の商談をしていた訳ですが、一番最初に、仏壇を見て、「濱口さんのご先祖様にご挨拶させて下さい。」と結構丁寧にご挨拶して貰いまして、駐車場の話とかで、人が寄って来てという事とか、御尊影が「教祖です」とか、当然この御神前で商談していますから、そういう話になりますもので、そしたら、帰りの時には、「濱口さんが信仰されている教祖様にもご挨拶させて下さい」ということで、自分なりのご挨拶をされました。

そして、2回目の時もご先祖からでしたが、主神様、メシヤ様にもご挨拶されていたので、商売屋としては、心を掴むのが上手いのかなっても思いますが、そこの家の、家を取り扱っておりますもので、家を取り扱っているというのは先祖との関わりを当然持っていく訳なので、きちんと自分が売り手目線というか、自分が良いと思う、認めた人でないと、そこでずっと住んで行って貰うのに、良い人に買って貰いたいと売主は思っている訳なんで、その地区に、変な人が越して来たとかいうのも嫌でしょうし、そういう事を心掛けている業者みたいです。

楳木代表
やっぱり、ひとつひとつがね、御守護を感じるような中身なのでね、やっぱり神様が御用意された場所に引っ越せるのかなっという感じだね。もう来月の月次祭は安濃の新支部でさせて頂くので、急転直下というのは正にこの事だね(笑)。

受講者
本当にビックリしました。濱口さんから支部移転のメールを頂いたとき「え?」と(笑)。

支部長代理
私も今の支部の駐車場を直すかな、どうするかなって感じで先月の月次祭の時は思っていたので、ただ、見て回っておかないと、と思って見て廻ったら。

受講者
近いし一度見に行こうかなって思って行って、駄目で元々と思って。

支部長代理
その前も鈴鹿に見に行ってね。そこは駐車するのに、誰かしらぶつけるだろうなっていうところでしたので。

受講者
入ることは入るのですが、出るときにお隣さんの所をちょっと借りないと出難い所で、ちょっと無理かなっていうのがあって。土地的にはよかったのですけどね。

楳木代表
そして、いよいよ契約を結ぶという時には、実家のご両親が住んでおられた土地を買ってくれる人があってね。その資金が大いに次の所に役立ったので、本当にご先祖のお働きもあるなあって思いますね。

支部長代理
資金を持ってないと話にも乗ってもらえないですからね(笑)本当に。

楳木代表
だから、全ての条件が揃ってよかったなって思いますね。

今度の新しい支部というのは、濱口家総力を挙げて許された場所なのだね。そこで、御用をすればするほど、先祖の徳に繋がっていくと思うので、そういう意味で素晴らしい事だなって思います。

受講者
子供達もビックリしていました。前の時には「一応相談してみる」と言っていたけど、早くも契約してしまって「もう決まってしまった」って言ったら「え?」っとか言っていましたけど(笑)。

楳木代表
まあしかし、お孫さんが遊ぶようになったら、あれだけ広い所だから車の心配もないし、何もせずに飛び回れる位の広い土地なので、素晴らしい事だなって思います。離れもあるし。

受講者
蔵もあるって聞いていたので、今日先生が善言讃詞を奏上されていた時に、『蔵に充ち』という箇所が凄く耳に残りまして。

支部長代理
『五穀稔て蔵に充ち』?

受講者
そうです(笑)。

楳木代表
Dさんに一杯大豆を作ってもらって、味噌を作ってね、蔵で。味噌を販売して行こうじゃないか、と。その蔵はね、まだ良い菌が一杯残っているから、良い味噌ができるから。だから、とにかく、自然農法の大豆をいっぱい作って、そして味噌を仕込んで行くように。

受講者
大豆は一杯房はできるんですけど、実に生るのがあまり・・・。

楳木代表
それは土地が良過ぎるから、大豆は土地があまり良くないところで作らないとね。腐葉土の所では作っても出来ないので。

受講者
砂地のところでは?

楳木代表
砂地もよくない。

受講者
実家の畑しかない

楳木代表
そこで、とにかく大豆を作って、せっかく蔵があるのだから、味噌、醤油を作ると非常に良いです。

受講者
醤油?

楳木代表
醤油は、最初は難しいので、まず味噌から。味噌は簡単にできるから。

受講者
漬物とかはどうでしょうか?良い菌がいると美味しい漬物が出来ますので。あと、いつも思っているのが、自然米の糠が一杯精米した時に出るのですが、皆さんその糠ってどうされているのかって。

受講者
いつも貰って、今回は白菜を漬けています。

楳木代表
なるほど、そういう漬物をいっぱい作って欲しいよね。

受講者
又、糠とか一杯持って来ますので(笑)。

受講者
沢庵も干し過ぎたのですが、ちょっとだけ漬けているのですけど。

楳木代表
それは楽しみだね。

受講者
ちょうど倍位の桶で。

楳木代表
それ位の樽が何個も蔵に並ぶようにして欲しいなあ(笑)。そして、順番に何年何月とか書いて、そしたらいいと思いますね。

支部長代理
二階建ての蔵です。

受講者
二階にはまだ上がってないのですが、一階の蔵を見た時、これは味噌作りに良いなって思いました。「味噌、来年頑張ろう」かって。

楳木代表
なら、ついでにドブロクも作ってみて(笑)!それから、自然農法のブドウがきたら、ワインが作れる。蔵があれば何でもできるから、楽しみだね。

受講者
多分米をしまっておられたと思う。昔ながらの土蔵ではないです。

楳木代表
土蔵じゃない。木で囲っている?

受講者
木で囲っています。

楳木代表
木で囲っていると、ちょっと温かいかもしれないね。中がね。

受講者
土間の方は?

楳木代表
土間は土?

受講者
土です。

楳木代表
土だったら大丈夫なので。下が土間なら大丈夫。みんなで漆喰を塗ってもいいよね。そんな格好良く塗らなくても、素人が塗っても大丈夫な漆喰が今あるから。

支部長代理
外側でしょうか?

楳木代表
外側と内側両方。

受講者
私、やりたい!(笑)

楳木代表
綺麗に塗るのは左官じゃないと難しいからね。でも、扇形に塗っていけば、物凄く良いデザインの壁になるから。気分転換ができるから、そういう事をやると。

他の支部からの参拝者は来月呼び掛けませんので、内々で今まで関係した人だけで、来れる人は呼び掛けてね、ここに繋がった人達は紹介がてら、来月参拝して頂けるように声を掛けて頂きたいと思います。お姉さんも是非連れて来て!

受講者
はい。中々難しいと思いますが・・・(笑)。

楳木代表
私が「会いたがっていた」って言って下さい。「みんな会いたがっている」と。

では、来月は安濃の方で月次祭をさせて頂きますので、よろしくお願いします。ありがとうございました。

司会
以上をもちまして、月次祭並びにメシヤ講座を終わらせて頂きます。

受講者一同
ありがとうございました。


世界救世教の誕生に就て 開教の辞

『救世』48号、昭和25(1950)年2月4日発行

 昭和二十二年八月三十日、宗教法人として創立された日本観音教団並びに同二十三年十月三十日同じく創立された日本五六七教会は、今回自発的に解散し、右両会を打って一丸としたる新しき構想の下に、本年二月四日立春の日を期して、標題のごとき宗教法人世界救世(メシヤ)教の創立出現となったのである。
 これは、非常に重大な意義があり、もちろん神の深き御旨によるのであって、人間の意図でない事は今更言うまでもない、いつも吾らが唱えるところの、霊界における夜昼転換の時期にいよいよ入ったからであある、これも吾らが常に言うところの仏教の救いは夜の期間中であるから夜の消滅と共に観世音菩薩の御救いの転移進展となるので、一言にして言えば仏滅を意味するのである、従って、観世音菩薩の御働きも救世主(メシヤ)のそれとなるのはもちろんである、すなわち化身仏であらせられた観世音菩薩はここに仮面を脱いで、御本体である神の御働きとなり給うのである。
 以上のごとく霊界が昼となる以上、これが現界に移写するにおいては、夜の文化は当然不用なものは滅び有用な物のみが残る事となるのは当然である、それのみではない、長年月にわたる暗黒時代によって人類の罪穢の少なからず堆積せる以上、それの清掃作用が行われなくてはならない、右の滅ぶべき不用物とはこれを指して言うのである、しかもそれと同時に昼の文化の建設が開始さるるのである、かくのごとき空前絶後の一大転機とは、何を指すのであろうか、全く何千年否何万年以前より決定していた神のプログラムなのである。
 また別の言葉を借りて言えば大規模な世界的破壊と創造が行われるのである、嗚呼斯の如(このよう)な重大時期に際会しつつある今、神の大愛はいかなる形に表われるかを知らねばならない、すなわちその具体化としては一切が滅ぶものと生き残るものとのいずれかに決定さるるのである、しかしながら右は止むを得ないとしても神の恩恵は、一人でも多く滅ぶるものを救わせ給わんとして、神の代行者を選び救世の大業を行わせ給うのである、またその使命達成の機関として運用されるのが本教であるから、本教の使命たるや実に大なりというべきである、この意味においていよいよ切迫せる最後の時期に当っての活動こそ刮目すべきものがあろう、その結果吾らの唱導する地上天国こそ最後の目標でなければならないのである。
 私は、これまで顧問の名の下に、いわば蔭にあって経綸を行っていたが、ようやく基礎的工作も出来上ったので、ここに表面的活動に移る事となった訳である、端的に言えば、いよいよ本舞台に登場する事となったのである、従って各般にわたって漸次組織形体はもとより、活動の形式も新しく生れるのはもちろんである。
 そうして、祝詞にもあるごとく観世音菩薩、光明如来、メシヤ(救世主)、弥勒神等も、御名は異なれど同一の御神霊である以上根本は変るのではない、いわば時期に応じて御神霊の活動範囲が拡充するのであるから、御神体も御守りもある時期まではそのままで差支えない、いまだ種々発表したい事もあるが、時期の推移に従って漸次発表する段取りとなるので、今はこの辺に止めておくのである。
 最後に言わなければならない事は、これまでは観世音菩薩の御働きであったから、言わば東洋的であった、しかるに時期切迫のためどうしても一大飛躍によって全人類を救わなければならない、とすれば世界的に拡充する必要がある、世界救世教の名によるゆえんである。
 今一つは観世音菩薩は、善悪無差別的の救済であったが、いよいよ地上天国が目前に迫り来った、今日ここに善悪を立別け、善を育て悪を滅しなければならない事になった、いわゆる悪のトドメである、従って救いの力も決定的でなくてはならない、その力こそメシヤの揮わせらるる大神力である。
 嗚呼、慶賀すべき時とはなったのである。


 
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