メシヤ講座三重

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質疑応答形式で作成を始めた19年11月度からの「メシヤ講座・三重」を掲載していきます。
個人のプライバシーに関する記述および個人を特定できてしまう記述は編者の独断で省略しておりますので文章につながりがないことがございます。
また、筆記で作成していますので表現上書きとれなかった箇所もございます。 
ご賢察の程お願い申し上げます。
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平成23年1月分


メシヤ講座特選集No.119 
<御教え>
世界救世(メシヤ)教教義(救世五十三号 昭和25年3月11日)を拝読

平成23年度メシヤ教三重支部 新年祭

新年おめでとうございます。今回からは御教えを掲載してゆきます。今月は「世界救世(メシヤ)教教義(救世五十三号 昭和25年3月11日)」ですが、さきほど祭典の中で喜多さんに拝読していただきました。

〇「世界救世(メシヤ)教教義」を出発点に 〜太初よりの御経綸を信ずるのが信者〜

この「世界救世(メシヤ)教教義」を御神業の新たな出発点になぜ載せたかと言いますと「世界救世(メシヤ)教教義」を世界救世(メシヤ)教関係の信者さん方が余り深く読んでいません。といいますか拝読して自分の中に落として人生観を確立していく柱にしていないところがありますので掲載いたしました。

親の代から信仰しておられるような古い信者さんの中ではこの「世界救世(メシヤ)教教義」を学生会などで暗記させられたらしいです。それでは「世界救世(メシヤ)教教義をどのように解釈していますか」と聞きますと「御経綸に基づいてメシヤ様がお出ましになられたので私達はお使いいただくのです」というご説明をするのですけども、今までの説明でいきますと昭和元年にメシヤ様が御啓示を頂いて、そして昭和6年6月15日に鋸山に登られ、そして昭和10年に御立教されます。そこからの御経綸という意識が非常に強いのです。

しかし、この「世界救世(メシヤ)教教義」を拝読すると『抑々、世界の創造主たる主之大御神(エホバ)は、此(この)地上に天国を樹立すべく、太初より経綸を行はせ給いつつある事を吾等は信ずるのである』と・・「この御経綸を信ずるのが世界世界救世(メシヤ)教の信者なのですよ」と言う事なのです。唐突な言い方に聞こえるかもしれませんが、浄霊力を授かって浄霊をしているというのが信者なのだということではあるのですけども、しかし元々はこの御経綸を信ずる人が世界救世(メシヤ)教の信者さんなのですよ、と言う事なのです。

そうしなければ、経綸という言葉を運営や活動に利用されてしまいます。利用されて狭義に捉えてしまい、御神意を見失うことになってしまいます。

〇主神様は太古の昔から地上天国建設の御準備をなされた

ですから信者さんの思考の中には、創造主が太古の昔からずーっと宇宙を形成して来られて、そして45億年前から地球を創造され、太陽と地球の関係を作ってその間に水金地火木土天海冥という惑星を設置して、地球に隕石をぶつけて地軸を傾けてそしてその破片から月を作って、それでこれで火水土の関係を作って地球の中に生命が宿る仕組みを45億年前につくったのだ、という仕組ですね。

主神様は45億年前からずーっと地球に地上天国を作る準備を進めてこられたのだ、ということをまずは最初に信じないといけませんね。そして、太陽系を造る前に銀河系をお造りになり、もっと前に宇宙そのものをお造りになりました。しかも、宇宙は光の速度で今なお拡がっています。

ということは、主神様という御存在はそれほど大きいということになります。メシヤ様が『表現し奉る言辞もない』と仰っている所以ですね。

〇我々の遺伝子は二重螺旋

そうするとなぜ地球上に生命が宿ることが出来たのかと言うことを考えていきますと、地球の環境が生命を作るためにベストであったのですけども、じゃあどうして生命が宿ることが出来たかといいますと、太陽の周りを地球が回ってそして地球の周りを月が回ってこの二重に回っている世界があって太陽がまた銀河系を回っています。その回っている太陽の周りを地球が回っています。そしてこの地球の周りを月が回っています。この二重構造で回っている地球にしか肉体的な生命は宿れなかったのです。ですから我々の遺伝子は二重螺旋になっているのです。

それでこのことを古事記の中では天の御柱(みはしら)を最初、伊弉冉尊(いざなみのみこと)様が回ってそして伊邪那岐尊(いざなぎのみこと)様が回ったら失敗したわけですね。国造りに。それで今度は左回りを夫の神様がおこない、右回りを妻神様が行うと国造りができたという神話があります。これは二重螺旋を我々に太古の昔から知らせて下さっているのです。

しかしそれを実証していくことはなかなか難しかったのですけども、現代になってこの遺伝子の構造とかいうことを科学的に立証することができるようになりました。それで、神話の意味を理解することができたのです。


〇宗教と科学の一致とは

神様が教えて下さった御啓示ということを科学者たちが立証してくれています。 このようなことを称してメシヤ様は『宗教と科学の一致』というふうに御教えくださっていますので、我々は“この「世界救世(メシヤ)教教義」に沿って主神様の御経綸を信じている信者というのは、そういう思考形態を根っこに置いて思考を広げて行くことができる人なんですよ”ということです。

そういうことをわかっていただきたいが為に最初に「世界救世(メシヤ)教教義」を載せてあります。

(子供たちが遊んでいるのを見られて・・・)

この二重螺旋構造があったから、この子たちが生まれてきているわけです。そういう中で私達は生命を繋(つな)いで行っているわけです。そういう大きい捉え方をひとつしておいて頂きたいということと、

〇「世界救世(メシヤ)教 教義」を自分たちに置き換えて捉える

『抑々、世界の創造主たる主之大御神(エホバ)は、此(この)地上に天国を樹立すべく、太初より経綸を行はせ給いつつある事を吾等は信ずるのである』という部分は

まあM口家で譬(たと)えますと、「そもそもM口家の主(あるじ)である博幸は、このM口家を天国にするべく安子と結婚した時から懸命に働いてきたのである、ということを私は信ずるのである。」

と置き換えることができます。ですから皆さん方も御自分の夫の名前に置き換えてみるとそのことを信じているがゆえに結婚生活を維持できるということです。私の夫は家庭を天国にするためにやってくれているのだと。それが結婚の意義になってくるわけですね。で、次に

『之(これ)に対して人間を神の代行者とされ給うと共に、一切万有は人間の為に造られたものである』

「その家庭を天国にするために安子を博幸の代行者とされたもうと共に一切万有(夫の給料)は私のためにあるのだ」と(笑い)そういう決意を持っていくと夫が苦労して稼いできたお金をそう無駄には使えないですね。大切に大切に使わないといけないということになります。

『故に今日迄の人類史は其(その)為の準備工作に外ならない事を信ずるのである』

というところは自分の育ってきた実家の伝統を持って此処へ嫁いできました。それで今度はM口家の伝統もあるからそのようなことはすべてM口家を天国にするための準備工作、(準備のために自分が身につける為の期間)に外ならないのだ、 と。だから実家のことも無駄ではないのだ、というふうに解釈して頂きたいです。

『従而(したがって)、神は其(その)時代時代に必要なる人間と、必要なる宗教を顕(あら)はし給い、それぞれの使命を遂行させ給うのである。』

この部分ですが、この家に子供が二人生まれて来たのも其(その)時代時代に必要なる人間ということなのです。『必要なる宗教を顕(あら)はし給い』は今まで仏教で来たけども子供のアトピー性皮膚炎を通じて当時の世界救世(きゅうせい)教 護持委員会(現在の主之光教団)に入った、と。そして、そこでメシヤ様の御教えをさらに追及していく中でメシヤ教に出会って、今こうして宗教をやりながら自分たちの使命を遂行しているのだ、と。

そういうふうに捉えて頂くと二重に捉えて頂くことができます。ですから地球が出来てきてから今日までの御経綸のすべては、この地球上に地上天国を作るという御経綸がずーっと有るのだ、と。それで我家を天国にするためにはこういう考え方を持っていかないと天国にはなって行かないのだ、と。自分自身が天国を造っていく主体である、と自覚して頂くためにこの教義というものがあるのだ、というふうに受け止めて頂いて、しっかりと地上天国の家庭造りをして頂きたいと思います。

こうした願いを以って教義を年の最初に掲載させて頂きました。

(質問者)
今のお話は過去のメシヤ講座特選集にも掲載されていましたね。

(先生)
そうです。でも古いのでね、改めてお話いたしました。

【参考に特選集から抜粋して掲載いたします。】
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メシヤ講座・特選集七十四(平成十九年三月分)より抜粋
http://www4.ocn.ne.jp/~meshiya/kouza/kouza2007/kouza200703.htm

(世界救世(メシヤ)教 教義)

「世界救世(メシヤ)教 教義」をトータルで理解していただいた後、自分に置き換えた場合にどのように読むことができるか、ということになる。

ここで例題を示すので、臨機応変に活用して考えてみていただきたい。

(抑々(そもそも)世界の創造主たる主之大御神(エホバ)は、この地上に天国を樹立すべく、太初より経綸を行わせ給いつつある事を吾等は信ずるのである)

この部分を「そもそも我が家の先祖は」としたり「私の夫は」と置き換えてみると、「そもそも我が家の先祖は我が家を天国にするように・・・・・」とすることができる。また、「私の夫は結婚当初より我が家を天国にするように・・・・・」とすることもできる。

もちろん妻であっても、両親であっても、子供であっても、ご自分であっても結構である。

ここでは「私の夫は」として、各文章を当てはめてみると、まず「そもそも私の夫は、我が家を天国にするために私と結婚した当初から生活しつつあることを私は信ずるのである」と、することができる。

そのことを信じて結婚もしたのであるし、夫婦生活を営んできたのである。いかがだろうか。

(これに対して人間を神の代行者とされ給うと共に、一切万有は人間の為に造られたものである)

そうすると、「これに対して私を夫の代行者とすると共に、家事一切は代行者たる私のために用意されたものである」と続く。

煩雑な家事も雑務も全て「我が家を天国にする」ためにこなすのである、と受け止めているのである。

(故に今日までの人類史はその為の準備工作に外ならない事を信ずるのである)

「故に、今日までの夫婦の道のりも、結局は天国を造るための準備工作であった、と信じている」

それまで幸福感に満たされていたか、あるいは苦労の連続であったか、いずれにせよ「我が家を天国にする」ための準備段階であったのである。そのように受け止めている。

(従って、神はその時代時代に必要なる人間と、必要なる宗教を顕(あら)わし給い、それぞれの使命を遂行させ給うのである)

「従って、主人と共に子供を儲けて、共に人生の指針を得て生活してきた」

そうであるからこそ、「我が家を天国にする」ために、必要なる子供も許されたのである。しかもそれぞれの使命をいただいているので、時には親の言いなりにはならない場合もある、と考えることができるというような受け止め方になる。

また、ご近所の方も姑などもそれぞれ使命を持って存在している。皆役割を持って生活しているのである。

(後半 ー 信仰に出会った意義)

こうした受け止め方の上に後半を拝読すると、「我が家を天国にする」ためにメシヤ様とご縁をいただいた、という入信の意義がより明確になる。

つまり、まとめは「メシヤ様とご縁をいただくことで私が我が家の救世主となり、我が家を天国にするために精進邁進することを決心している」ということになる。

入信動機は様々ではあるが、また複雑多義に渉る背景がお互いにはあるが、「我が家を天国にする準備段階を経て来たからこそ、メシヤ様に出会うことが許されたのである」という認識を共有したい。

我が家の救世主となるためには、メシヤ様の御姿を鑑として追体験するように心掛けることが必要である。そのために、第三講のテーマはメシヤ様である。さらに学びを深めたい。

お世話とは、メシヤ様の愛に包まれていただくことである。それを可能にする重要課題は、御教えを自らに置き換えて拝読する、という姿勢を共に持つことである。重ねて肝に銘じていただきたい。

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(先生)
昨日枚方支部で本発会式を執り行いました。枚方支部のホームページ、ブログがアップされております。メシヤ教のホームページにリンクを貼っておきましたのでまた覗いてみてください。

御神業日記のようなページもありますのでね。

(参加者)
三重支部のホームページにも既にリンクいたしました。

(質問者)
特選集の『今年4月末頃、私の家庭生活の大転換の兆候が始まりました。後から知ったことですが、先ほどの田中さんが、同時期に三重支部にて大浄化の一模様を霊視され、“早く大阪にも三重支部のように沢山人を受け入れられる所を作らねば大変なことになる”と強く思わされ、どうしたものかと悩んでおられたそうです。』

この霊視というのはどういうことを言われておられるのですか。あの時は、御書のあたりで「ピシッ」という音がしたのと襖(ふすま)の向こうの廊下に複数の人の気配がして襖を「ガタガタ」と開けるような音がしました。それで子供達かな?と思って襖を開けましたが誰もいませんでした。それでどなたかの霊がついてこられたのだろうと襖を開けておきました。支部に居た4人すべてが感じました。

(先生)
そのことでしょう。家の中で音がする時というのは大体御先祖様が喜んでおられる時が多いですね。

しかも人の気配がしたのですから参拝された方の御先祖様が一緒に来られて喜んでおられたと解釈すべきでしょうね。

で、その当時大阪に支部がなかったのでね。御書がたくさん掲額されている三重支部に参拝され、早く大阪の地にも許されたいという思いが膨らんでいったようです。ですからその頃からずーっと昨日の枚方支部への発会まで繋がっているということですね。

(先生)
御讃歌をお見せになり

これね。メシヤ様の直筆の御讃歌の印刷です。
昭和25年12月23日に18首お詠みになっておられます。
恐らく井上茂登吉先生と思いますが、お一人で朗詠されたわけです。それからメシヤ様のお言葉を頂きました。ですから当時は全員で奉唱されてはいなかったということです。朗詠を聞いたことあるでしょう。

一首目を朗詠される
『しゃかこうし やそまほめっとたちまちのぞむ ちじょうてんごくわれつくるなり』

(参加者)
詩吟を習いに行かないといけませんね(笑い)

(先生)
耶蘇マホメットたちの 「たち」とメシヤ様が直接訂正を入れてありますね。それをそのまま朗詠されたのですね。

(参加者)
リアルですね。

(先生)
こういった貴重なものが入手できてくるというのは時期が来たのでおまえたちにと、メシヤ様が届けてくださっているようですね。

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御讃歌 昭和25年12月23日

しゃかこうし やそまほめっとたちまちのぞむ ちじょうてんごくわれつくるなり
釈迦孔子 耶蘇マホメットたち待ち望む 地上天国吾造るなり

ちょうせんの しょうどのさまのおそろしさ やがてきぬらんちのことごとに
朝鮮の 焦土の状の恐しさ やがて来ぬらん地の悉に

せんれいの ひのてはすでにちょうせんに もえそめにけりこころせよみな
洗霊の 火の手は已に朝鮮に 燃え初めにけり心せよみな

すさまじき ひのせんれいのきぬるとて いとやすからめかみにあるみは
凄じき 火の洗霊の来ぬるとて いと安からめ神にある身は

げんばくの あめにひとびとにげまどう ときのきぬるをかくごせよみな
原爆の 雨に人々逃げまどふ 時の来ぬるを覚悟せよみな

かみをせに かがくにたよるもろびとの ほぞをかむひのちかまりにける
神を背に 科学に頼る諸人の 臍を噛む日の近まりにける

やがてこん さばきのとうげやすらけく こすひととなれみたまみがきて
やがて来む 審判の峠安らけく 越す人となれ身魂磨きて

せんれいの ひのうずまきはちのうえを なめつくすなりきよどのこして
洗霊の 火の渦巻は地の上を 舐め尽すなり浄所残して

かみなしと いいしはなたかびとたちの ひれふすすがたみるぞうたてき
神無しと いひし鼻高人達の 鰭伏す姿見るぞうたてき

かみありと いうひとかみなしというひとの たてわけらるるだいしんぱんかな
神ありと 言ふ人神無しと言ふ人の 立別らるる大審判かな

かみにそむき よをみだしたるまがびとの かみにいのるもせんなきしゅうまつ
神に背き 世を紊したる曲人の 神に祈るも詮なき終末

ひたぶるに かみにいのるもせんなけれ よをみだしたるつみとがのみは
ひたぶるに 神に祈るも詮なけれ 世を紊したる罪とがの身は

てんさけび ナイブル イカヅチ とどろかん さいごのときのおそろしきさま
天叫び 地震雷轟かん 最後の時の恐しき状

てんふるい ちじくゆるがんときこそは かみのちからにたよるほかなき
天震ひ 地軸揺がむ時こそは 神の力に頼る外なき

しんぱんの ひのすさまじさてんあおぎ かみにいのるもすでにおそかり
審判の 火の凄じさ天仰ぎ 神に祈るも已に遅かり

いやはてに ほろびんとするうつしよを すくうはめしやのちからにぞある
弥果てに 滅びんとする現世を 救ふはメシヤの力にぞある

えいこうの くもよりくだるだいメシヤに しょうどはたちまちてんごくとかすらむ
栄光の 雲より降る大救主に 焦土は忽ち天国と化すらむ

たいぞうの みろくはすでにあれたまい たてなおすひをまたれぬるかな
胎蔵の ミロクは已に生れ給ひ 建直す日を待たれぬるかな

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〇「惟神霊幸倍坐世」を心を込めて奏上する

(先生)
それから御参拝の形式を改めましたが、「かむながらたまちはえませ」だけは皆で唱えた方が良いですね。昔メシヤ様が御在世中の頃は、善言讃詞を先達が奏上申し上げて、最後に「念被観音力(ねんぴかんのんりき)、念被観音行(ねんぴかんのんぎょう)、念被観音心(ねんぴかんのんしん)」と皆で唱えていました。

ですから「惟神霊幸倍坐世(かむながらたまちはへませ)」を皆で奏上するのが一番良いのではないかなと思います。

すると「惟神霊幸倍坐世」の意味を深く自分の中に意識して、そして唱えるように持っていくとね、良いと思います。

(質問者)
惟神霊幸倍坐世のあとの三拍手はしないのですね。流れで拍手してしまいそうですけど。

(先生)
拍手はしない。してしまったらそれはそれで良いです。慣れないうちは仕方ないですね。メシヤ様御在世時代になされていたように整えていくということですね。

箱根美術館が完成して地上天国祭を皆で行うようになってから御讃歌を皆で奉唱するようになったようです。すると「メシヤ様御在世中ではないか」ということなのですけども、その頃には専横(せんおう)した理事会が支配していたからね。 善言讃詞から「メシヤと成らせ」が抜けてしまっているでしょう。わずかの期間しか入っていなかったのです。

それで主之光教団は「メシヤと成らせ」と入れたのはよかったのですけども今度は「仁愛(みろく)の御手に帰一され」を入れ忘れたのです。私は当時「入っていませんよ」と責任者に指摘したのですけども、「何万部と造ってしまったから今更変えられないよ」と却下されました。

(質問者)
そのような信仰の根幹に関わる話を「今更変えられない」で済まされては困りますね。

(先生)
統一を目指しているなら「仁愛(みろく)の御手に帰一され」を唱えて行かないとね。言霊(ことたま)で響かないからね。

ですから、頭を下げてずーっと平伏して聞いているときには先達が唱えている祝詞を自分の中にいただくような姿勢で承るようにお願いたします。

そうすると先達は物凄くね緊張しながら挙げて行かないといけないのでね。大変なのですが、今度は御家庭で奏上される時には今言ったように姿勢を正して奏上して頂きたいと思います。すると祝詞自体が素晴らしく響いていきます。

これからはね、時所位を明確にして、その場その場で時所位の一番上の人が心を込めて祝詞を奏上するというように改めて頂きたいと思います。M口さん達がいない場合には自分たちで決めてね。後ろのひとは畏まって平伏してますので、相当緊張しますけども、やはり祝詞を奏上する時にはその位緊張感を持って奏上しないとね。

(質問者)
御祈願させていただく時も同様でしょうか。

(先生)
同じことですね。

(質問者)
「主之大御神様に全宇宙の御経綸とメシヤ様に地上天国建設の御力を賜りますようにお祈りさせて頂きます。」はどのようにさせていただけばよろしいでしょうか。

(先生)
あれはもう言わなくて良いです。あれは姿勢を正すためにね、皆さんの想念つくりのために1年間読み上げてきたので、こういう祭典の仕方になれば必要はないです。月次祭、朝拝、夕拝のときにも言わなくて良いですよ。先達がわかっていれば良いです。

何かねボヤボヤしていられないという形でね。ドンドン進んで行ってしまって、私もね、神界からせっつかれているようでウカウカしていられないなという感じです。

〇御祈願の仕方

(質問者)
御祈願の時、御神名と惟神霊幸倍坐世の間の祈りの間というのはいりませんか。

(先生)
いらないです。病気の御守護願でしたら最初にね「〇〇さんが今こういう状態なので御守護賜りたいので御祈願させていただきます」と伝えてから先達が天津祝詞・善言讃詞を奏上する。そういう形にしてください。

(質問者)
朝拝の時に合わせて御祈願をさせていただく時にはどのように。

(先生)
そういう時も最初にね「朝拝とあわせて御祈願させていただきます。御祈願の内容は〇〇さんがこういうふうな状態で御守護賜りたいので御祈願させていただきます」と言ってから祝詞を奏上する。そういう時は朝拝でも善言讃詞も奏上させていただけば良いです。


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【御教え】『御光話録』七号、昭和二四年五月一三日

−−念被観音力、念被観音行、念被観音心の関連についてお伺い申し上げます。

これはね、心が元で、観音心ができれば観音行ができる。観音行ができれば、従って力、観音力が発揮されるんです。祝詞には逆の順になってますね。しかしこれはいいんです。仏のほうは逆ですからね。体が先ですから。ところが神様のほうは霊が先であり、心が根本なんです。それから自然に行いが決まるんですよ。心と行いが一致しなければいけません。心言行一致って言ってね、心と言葉と行いが一致するのが本当なんです。

【御教え】『御光話録』一三号、昭和二四年一〇月二一日

−−念被観音力の被と彼、福寿海無量の寿と聚とはどちらがよろしいでしょうか。

仏教のお経には彼と書いてありますが、これを私が被と直したんです。念ずれば観音力を被る、いただくという意味ですね。これはおそらく翻訳するときに間違ったんだろうと思いますがね。

−−ふつうには「彼の観音の力を念ず」と申しますが……

ええ、。そういうふうに言うんですが、それじゃ意味がないですね。彼の観音と言ったってどの観音だか判りませんしね。それから、福寿海のほうも寿が本当ですね。

【御教え】『御光話録』一七号、昭和二五年ニ月ニ八日

−−祝詞の「惟神霊幸倍坐せ」の意味について御教示ください。

「惟神」っていうのは神様に従う、神の御心のまにまに、神に倣うっていうことで、それから「霊幸倍」は魂の幸いが倍になる、だから魂の仕合せを多くして、魂をふやしていただきたいっていうことで、神道で「御霊のふゆを幸ひ給へ」っていうのがありますが、これは魂を大きくふやしていただきたいっていうことなんで、だから同じことですよ。肉体にも痩せたのと太ったのとがあるように、魂にも痩せたのと太ったのとがあるんですよ。そして魂は太ってなくちゃいけないんです。肉体の太り方とは違って、魂が太ると驚くほど非常に大きくなるんです。よく物に怯える人や、恐怖症の人は魂がやせて萎縮してるんです。いままで恐怖症だった人がこの信仰に入ると、そういうことがなくなりますよ。魂が太り、魂の量が殖えるからなんですね。そうすると、外界の影響や剌激をはねつける力が強くなって、割合に恐怖心も起きず、物に怯えることもなくなるんです。そうすると、あの「図々しい奴」は魂が太ってるのかっていうことになりますが、(笑声) これはまた違うんで、ああいうのは太ってることは太ってるんですが動物的な太り方なんですよ、質が悪いんですね。(笑声)神様のほうのは質がよくて太るんですからね。

【御教え】『地上天国』一四号、昭和二五年三月二〇日

−−惟神霊幸倍坐世の意味。

「惟神」は神のまにまに……すなわち神の命に従うこと。 「霊幸倍坐世」とは霊魂をふやしていただきたいということ。すなわち霊衣を厚くすることである。

【御教え】『御光話録』一九号、昭和二五年六月一三日

−−「惟神霊幸倍坐せ」をお称えする場合、「カムナガラ」と「カンナガラ」とどちらの発音が正しいでしょうか。

これはどっちでもいいですよ。強いて言えぱ、「カム」のほうが正確ですけどね、しかし「カン」のほうが言いやすいからそれでもいいんです。だからどっちでもかまいませんよ。

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〇子供が反抗してもきちんと説明をしてあげる

(質問者)
子供が反抗ばかりして素直に「はい」とか「うん」と言ったことがないのです。

(先生)
子供の成長過程だと思ってください。成長の過程ではそういう言葉が出てくるのだとね。そして、中学高校でもう一回出るから。そういう心構えでいればよいです。

(質問者)
その時はどのような対応をすればよいでしょうか。

(先生)
「あなたはこうかもしれないけども、これはこういうことなのよ」ときちんと説明をしてあげる。わかろうがわかるまいが説明をしてあげるのです。この子は成長しているのだなと、自分の気持ちを鎮めながらね。

〇知らせに基づき行動するということ

(質問者)
今回は行動がテーマでしたね。「神界からお知らせがあっても我々がどう行動するかが大切なのだと」

(先生)
そう。行動です。

やはり龍神の姿を見せられても見ただけで「ああ神秘的だなあ」と思うだけでは何の意義も生まれてきません。それに基づいて“自分はこういうふうに生活をさせて頂く”とか、“こういう動きをさせていただく”と。そして動いた時に初めて意義が出てくるのです。

霊がかりの人が何の意味を持たないのは、それだけで終わってしまうからなのです。皆興味本位で聞いてね。聞くだけで終わってします。それに基づいて行動が変わっていかないといけません。


〇御神体について

(質問者)
みなさん主之大御神様の御神体を拝した時の表現が喜多さんの拝された時の表現と良く似ているなあと思いました。

(先生)
あるところでね。奥様が御神体をぜひお迎えしたいと言われるのですが、最高最貴の御神体ですので御主人が“ぜひとも”というお気持ちになられるまで受け付けません」とお話しましたら、吃驚(びっくり)しておられました。

なぜその人がそのような気持ちになったのかと言いますと二位一体(にみいったい=御神体と御尊影を同じ神床に御奉斎する形式)で御神体を奉斎しているのですけども、気持ちを改めて御参拝したらね。ものすごく感じたらしいのです。これは自分の姿勢がすごいと思ったら翌日は何も感じなかったのだそうです。で「一回しかお知らせ頂かなかったのですよ」と言いますのでね。「一回すらお知らせいただけない人がいるのにね。それだけのことを感じたのですから、絶対にそれを忘れないで毎日毎日その様な気持ちでお参りする姿勢が必要なのですよ」という話が出たのです。

一回感じれば十分なわけです。教祖になる人と自分たちの違いは何かと言うと一回奇蹟的なことを見たら、ずーっとそのことを忘れずにやり続けることのできる人しか教祖にはなれません。そこが凡人と教祖になる人の差なのです。 感謝を一回持っても一ケ月もたつと忘れてしまうようでは教祖にはなれないですね。


〇信仰とは体験した感謝の気持ちを雪だるまのように膨らませていくこと

感謝をし続けないと・・そういう点でユダヤ教が素晴らしいというのは家庭環境の中で2千年前のことも昨日のことのように話してあげる。食事の前にとか親がね。親から聞いたことを自分の子供に伝えて行く。そういう教育をしてきたのです。そういう教育の方法は素晴らしいことだと思います。

それで信仰と言うのは・・・。感謝をさらにそれを雪だるまのように膨らませていくような生活をしていかないと信仰生活になって行かない。感謝の気持ちが時が過ぎると先細りしていくようではこれはもう信仰とは言えません。御守護が日を経てば経つほど膨らんで行くような感謝でなければなりません。

M口家の場合は、子供がアトピー性皮膚炎で御守護頂いたその感謝が、こうやって御奉仕することによってさらに感謝が拡がって行くという生活をして多くの人達のその感謝を伝えていけますのでね。支部にならせていただけるということはそのように有意義なことなのです。

喜多さんも先月の話を受け止めて下さって御奉仕に取り組んで頂いていますのでね。大変有り難いと思います。

ですからあのように大々的に御守護報告を書いた内容というのは毎月いや毎日でも読返して頂いて良いくらいですね。そして拝することができたことを自分の中で膨らませて行っていただきたいと思います。

(質問者)
読ませていただいております。

(先生)
ああそうですか。それは何よりです。それでね。そういった体験と言うものは人に話してゆかないと忘れてしまうのでね。私も布教師として話すから自分の中に膨らみが出てくるわけです。

四歳の頃のことも話しているから、昨日のことのように感謝の念が膨らんでくるわけです。

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メシヤ講座特選集(89・平成20年6月分)
「厳しい薬毒排泄の浄化を乗り越えて」より抜粋
http://www4.ocn.ne.jp/~meshiya/kouza/kouza2008/kouza200806.htm

平成20年5月6日

そして、何とも不思議な光景を見させていただきました。向かいの窓から朝日が入り始め、やがて御神前まで届き、朝日の光と御神体のお文字が一体となって輝きだしたのです。

次に、御神体の黒の「ヽ」とその周りの白い部分の輪が浮き出て球体になり、 その中心には瑞々しい黒色の「ヽ」が鎮まっておられる感じで、その球体の輪郭からパッパッと光が放射され音が聞こえてくるかのように噴出しているのです。
やがて穏やかな細かな光の放射状となって輝きだしました。球体は水晶とか水ではなく空気か酸素の塊かと思えるような光景でした。

今までにない素晴らしい御神体を私達の支部はいただいている。何と有難いことかと思わせていただいた瞬間でした。
ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー

(質問者)
メシヤ様の御手のお写真はどこに掲額させていただくのがよろしいでしょうか

(先生)
メシヤ様の御手のお写真は我々のね、イメージを膨らませる為にね、御手を拝して自分の手で浄霊をするのだけども、メシヤ様の手の代わりに手を翳(かざ)しているのだとそういう姿勢をつくるためにみなさんに御下付しているのでね。そういう気持ちを膨らませられるところが一番良いですね。

(質問者)
1階でもよろしいのでしょうか。

(先生)
それは構わないです。スペースがあればね。

それでは時間になりましたので終わらせて頂きます。ありがとうございました。

(参加者)
ありがとうございました。

以上

 

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