救いの三本柱(三救)Three Pillars of Salvation

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質疑応答形式で作成を始めた19年11月度からの「メシヤ講座・三重」を掲載していきます。
個人のプライバシーに関する記述および個人を特定できてしまう記述は編者の独断で省略しておりますので文章につながりがないことがございます。
また、筆記で作成していますので表現上書きとれなかった箇所もございます。 
ご賢察の程お願い申し上げます。

平成22年9月分


メシヤ講座特選集No.115
<メシヤ様対談記・>
明主様(メシヤ様)と御対談(一)
 アジヤシーン東京特派員 ディック・中村氏
ラジオ東京アナウンサー 真 山 照 政氏
栄光二百六十六号 昭和29年7月21日

●対談記に学ぶ

(先生)

先月までは芸術面の対談が続きましたのでずいぶん芸術面の知識を習得することができました。今月からまた改めて浄霊のこととか、浄化作用の事を学んでまいりたいと思います。

とりわけメシヤ様が初対面のジャーナリストに対してお答えになっていることは我々にとっても非常にわかりやすいのではないかと思います。それでここに栄光266号と書いてますが「岡田茂吉全集」ですと266号になってません。これは昭和59年当時の「教学委員会」の資料から出典しているためです。それからヴァクテリアとかヴィタミンとかの表記も異なりますのでご注意ください。

【註】栄光紙266号画像を添付しましたのでご確認ください。


今回拝読した内容についてもメシヤ講座特選集の解説のなかにも入れてますが、月次祭の前に〇〇さんから怪我(外傷)の浄化(塀にぶつかって腕を摺りむいた。瘡蓋になっている)についての話を聞きました。今回の対談にも出てますね。一番後ろの方です。

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中村氏 

内臓疾患はそうとしまして、外科疾患の場合は如何でしょうか。


明主様(メシヤ様)

と言っても、因はその人に霊的曇りがあるからです。又外傷した処で直ぐに治ります。それは私の方で発行している新聞を読めば分ります。これを説明するにはなかなか骨なのです。というのは、あなた方が普通の頭ならよいですが、科学迷信、医学迷信に固まっているからです。

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(先生)

因はその人に霊的曇りがあるからです。と明確にお答えになっておられます。だから怪我をするのです。じゃあ何処に曇りがあったのかというと、もちろん腕を怪我したのですから腕に曇りはあります。しかし塀にぶつかると言うのはね・・普通塀にはぶつかりませんね。これは感覚的なものですから頭です。頭に曇りがあるから塀にぶつかって右腕を怪我してしまったのです。と言うふうに結び付けていくと浄霊はまず痛い所を浄霊しなければいけないけれども、それと同時に頭の曇りをとらないとまた違うところを怪我してしまいます。丁度ね、この対談にあわせて怪我をしてくれたようでね。事例としては有り難かったですね。(笑い)


●光が見える子


それとこの解説に書いていない内容としては、

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明主様(メシヤ様)

白、黄、黄金、とあります。それが多く子供が見るのです。


中村氏 純真な者がというわけですね。


明主様(メシヤ様)

そうです。つまり、無心と言うか、潜在意識がないから、反って信じられます。それは十二になる子ですが、まだ続いています。

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●メシヤ教入会後の浄霊力


という箇所ですが昭和29年の頃ににね。、十二歳になる子が光が見えていたとね。主之光教団の前身の教団護持委員会の頃にも当時の中村総長の所信表明を支持すると言ったとたんに、小学生の子供たちが光とか言霊とかが見えだしたというのをこれを読んで急に思い出しました十二歳だからね。メシヤ様の御在世当時と同じようなことがあの時起きたのだなあと。それで一番ビックリさせられたのが集団浄霊の光の出方です。集団浄霊を取り次ぐ人から皆の額に対して同時にレーザー光線のように光がガーッと出ると。これが実は今大阪の枚方支部に所属している〇〇さんという人が集団浄霊の手が翳された瞬間にここ(額)へガーガーッと光が来ると言うのです。体に感じるタイプなのでね。それですぐ腎臓が溶かされて十五分おきに尿意を催すのです。という報告をして下さいました。それで今も続いているのでね、今までの光とメシヤ教に入会して浄霊力を伝授いただいてからの光の出方が違うと言う浄霊力の差を、〇〇さんによってわからせていただけました。皆の信仰の学びになったことと思います。


(質問者)

その方は以前からお光をかけないで浄霊をされていたのですか。


(先生)

そうです。お光なしで浄霊する他の教団にいましたのでね。ですから結構体の部位のこともわかっておられるので今腎臓の毒素が溶けているということがわかっておられるようです。


(先生)

それから昭和五十九年の時には御教え拝読の光も見えたということを以前話したと思います。今みたいに御教えを拝読しているとメシヤ様の言葉の所だけ一文字一文字ピッピッピッと拝読するところが光ってくると子供たちが言うのです。ですから親が御教えの何処を拝読しているのか子供達にはわかったのです。そんなことを十一歳、十二歳の子供たちが見て御教え拝読の大切さということをわからせてくれました。


●感謝の言葉は光って見える


それから信者さん達にとって一番恐ろしかったのはね、言霊が見えた時ですね。感謝の言葉とか明るい言葉は光って見えます。


それから京都の平安郷へ行くまでに六波羅蜜寺がありますがそこに空也上人の像があります。口から何か出ているでしょう。あれはね、言霊を表しているわけです。ですから言霊を練って話しなさい。あるいは念仏なり唱える時には光となって善言というのは出てくるのだという教えなのです。


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彫像  Wikipediaより


六波羅蜜寺 空也上人像空也の彫像は、六波羅蜜寺が所蔵する立像(運慶の四男康勝の作)が、最も有名である。他には、月輪寺(京都市右京区)所蔵、浄土寺(松山市)所蔵、荘厳寺(近江八幡市)所蔵が代表的である。いずれも鎌倉時代の作で、国指定の重要文化財である。彫像の造形は、特徴的である。一様に首から鉦(かね)を下げ、鉦を叩くための撞木(しゅもく)と鹿の角のついた杖をもち、わらじ履きで歩く姿を表す。6体の阿弥陀仏の小像を針金で繋ぎ、開いた口元から吐き出すように取り付けられている。この6体の阿弥陀像は「南無阿弥陀仏」の6字を象徴し、念仏を唱えるさまを視覚的に表現している。後世に作られた空也の彫像・絵画は、全てこのような造形・図像をとる。

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●霊線の見える子もいた


それと同じように我々の言霊も一文字一文字出てくるのです。ですから感謝の言葉は光となって、人の悪口は煤(すす)となって出てくるのです。そういうのが見える子がいました。それで「ありがとう」と言葉に出して言っても心を込めていないと光らないのでわかるのです。「今心を込めて言わなかったでしょう。」とすぐ指摘されるのでね、親も大変だったですね。それから〇〇症の子は言葉よりも想念を先にわかるのです。ですから親が「あなたのこと好きよ」といくら言葉で言っても、想いを感じ取ってしまって殻に閉じこもってしまうのです。そういう世界が純真な子どもの中にはあるということです。霊線の見える子もいましたね。教団紛争の時にどちらに付くと言っているのと逆の線が見えると線の繋がった方へ行ってしまうのです。教団も御教えに沿って進んでいるときは発展しますが、人事権を振りかざして人心を掌握しようとすると廃れていきますね。


●壽(よわい)は永く無醫薬(むいやく)に


(先生)

それからね。本部の月次祭で善言讃詞を「壽(よわい)は永く無醫薬(むいやく)に」と唱えているときに、何でMOAは無医薬にならないのだ。と急に参拝しているときに思い出したので、メシヤ講座特選集に『薬毒論を薬理学を理解しないで前面に打ち出せば対立的になってしまいます。しかし、浄霊と薬を併用するようなことでは、これでは本末転倒になってしまいます。そして、気付いていたいだきたいのは「善言讃詞」で『壽(よわい)は永く無醫薬(むいやく)に』と唱えている信仰なのです。』と書かせていただきました。


●肺病に絶対菜食


(質問者)

メシヤ様が自分で自分の肺病を直したことが書かれていましたが、御教えを調べてみましたら十七歳の頃のようです。その箇所を読んでみます。


【御教え】結核信仰療法 昭和二十七年十ニ月一日 抜粋


私は十七歳の時、肋膜炎を患い、穿孔排水一回し、三月ばかりで治り、安心しているとそれから一ヵ年後再発したが、今度は前の時と違って中々治らない。医療を受け乍ら漸次悪化し、一年余を経た頃、遂々(とうとう)三期結核となって了った。最後に診断を受けたのが、当時有名な入沢達吉博士であったが、入念に診察の結果、全快の見込なしとの宣告をされたのである。何しろ日に日に衰弱が加わり、自分の手を見ると白蝋(はくろう)の如く、血の気など更になく、痩せ衰えて骨と皮になって了った。先ず衰弱の程度から推すと、精々後一ヵ月位で駄目だという事がよく分るので、覚悟はしたが、何とか助かる方法はないものかと思い、色々考えた末、何か大いに変った事をして、旨く当ればよし、外れれば元々だという気になっていた処、病気以前私は絵を習っていたので或日色々な絵の本を見ていると『本朝薬草彙本(いほん)』という漢法薬の本があった。勿論草根木皮の絵ばかりで、何の葉は何病に効くとか、何の実、何の花は、何の薬になると出ているので、私は「ハハアー斯んな植物にも、そのような有効成分があるのかしら」と思うや、不図気が付いたのは、それまで私は栄養は動物性に限ると思っていた事とて、試しに一日菜食にしてみた。処が驚くべし、非常に工合がいいので、これは不思議と、翌日も翌々日も続けた処、益々いいので、茲に医学に疑いを起し、薬も廃めて了い、三ヵ月間絶対菜食を続けた結果、病気以前よりも健康になって了ったのである。


(質問者)

漢方薬の本を見られたのですけども漢方薬をお使いになられずに菜食で治されたということですね。


(先生)

そうですね。


(質問者)

『明主様(メシヤ様) 最初は何か、そういうふうでした。処が数年前からお腹に光の玉があるということが分ったのです。これは見る人もあります。それで、こうやる場合に、これ(光の玉)から手を通じて出るのです。それは私がやる場合ですが、弟子がやる場合もこうやりますが、やはり此処(掌)から光が出るのを見る人は沢山あります。』に光の玉が数年前からある。とあります。このご対談が昭和29年ですから昭和25年6月15日の御神示のことですね。


(先生)

そうですね。昭和25年のことをおっしゃておられるのですね。


●「人を治し得る人」を作ることができる。この働きが 麻邇の玉


(質問者)

麻邇(まに)の玉について御教えを検索しました。次の御教えですが、『私はキリストと違って何万人でも「人を治し得る人」を作ることができる。この働きが 麻邇の玉なのです。』とあります。


【御教え】『御光話録』二号、昭和二四年一月八日


−−− 一、麻邇の玉、如意の宝珠、二、胎臓界、金剛界、の意味につきお伺い申し上げます。


神道では麻邇の玉、仏教では如意の宝珠というので玉とは魂のことで絶対力の意味です。これはいままで世に出たことがなかった。で、本当のことを言うとおかしいが、これは私のおなかの中に在るのです。だから私はいろんなことができるのです。人を治すということも、キリストはわずかに十二弟子にしかその力を授けられず、釈迦とても往来で急病にかかってなくなったのですが、これは自分の体すら治すだけの力がなかったからです。私はキリストと違って何万人でも「人を治し得る人」を作ることができる。この働きが麻邇の玉なのです。胎臓界は「弥勒胎臓」と言って「弥勒」が未だ出現しない時代の仏教で、夜の世界のことです。金剛界は昼の世界で、金とは太陽の光のことであり、「弥勒下生」後が金剛界になるのです。


(先生)

やっぱり、働きというところが大事だね。


(質問者)

宝珠(ほうじゅ)を宝珠(ほうしゅ)と書いてあるのもありますね。


(先生)

それはね、出典によって違いますね。


(質問者2)

たま、たま と話をされてますが、何のことだかさっぱり。どんな字を書くのですか。


(先生)

今の珠はおうへんに朱色の朱です。


(質問者2)

頭が曇っているからわからないわ。(笑い)


● 霊光の玉


(質問者)

霊光の玉 とも言われています。これは腹部の中央に直径六糎(センチ)位で肉眼で見る人もあると書かれています。


【御教え】アメリカを救う 昭和二八年一月一日


話は戻るが右の浄化力こそ、神エホパが火素の本源ともいうべき霊光の玉を私に与えられたのであって(これは腹部の中央に直径六糎(センチ)位で肉眼で見る人もある)この玉から無限に光波が放射され、その伝達方法として二分の一メートル位の紙片に、墨と筆で光の文字を書いたものを畳んで懐へ入れさせる。すると私から出る光波は、霊線を通じて施術者に伝わり、その人の掌から放射される。これが浄霊法である。丁度ラジオの放送局と、アンテナと受信機のようなもので、実例報告中にある御守というのがこれである。では何故神はそういう方法を私に授けられたかというと、これこそ彼のキリストが「天国は近づけり」と予言された処の、紀元的時機が来たからである。その根本としては第一に人類から病を追放する事で、神は病気滅消の方法を私に教え給うたのである。


(先生)

6cmね。袱紗(ふくさ)の位置くらいですね。


●見える人には使命がある

●光の玉に直結しているというイメージを絶えず持とう


(質問者)

見えないからね。見えたらすごい浄まっているわ。


(先生)

いや、浄まったから見える訳ではないよ。見える人は使命があるから見えるのです。皆に知らせる使命があるのです。しかし我々はその光の玉に直結しているから「おひかり」なしで浄霊ができる訳です。ですからいつも直結しているというイメージ作りを絶えず日常生活でしておかないといけませんね。


(質問者)

そうすると、原爆の光よりも強い・・


(先生)

そう強い光が出せる訳ですね。ただね。メシヤ様から光が自分にくるでしょう。そして掌に集中して出すので自分の体や中が曇っている場合は出にくいわけなのです。だから浄霊をする時にはメシヤ様からのお光が自分の肉体を通ってスーッと相手にいくような気持ちを持たないといけないね。水のように自分の中が透明になるような状態で光を取り次いだ方が良いですね。何も邪魔しないでね。しかし土素を付け加えないと救いの力にならないから自分の肉体を通さないといけない。そうしないと絶対力というふうにならないから。だから自分の掌から出さないといけないのですけども出す時の自分の想念はメシヤ様の光が自分の体の中で汚れることなくスーッと行くような気持ちで浄霊して行けばそういう強い光になって行きます。その練習をいつもするのが浄霊の時の心がけなのです。


●浄霊を頂く時の想念


そうすると今度は浄霊をいただく時はどうかというと、〇〇さんから浄霊を頂くとして〇〇さんから浄霊をいただいていると思うよりも、「メシヤ様から直にいただいている」という気持ちでいただくと光がもっともっと受け入れるということからすると入ってきます。「メシヤ様から直にいただいている」という想念ですと、無駄話何かできないでしょう。する気も起きないね。そういうふうにしてゆけば想念の高まりを維持することができます。


●物事の本質を見抜く力を付ける


(先生)

だからね。我々はもう古い話になりますが、〇〇ム真理教の問題点から勉強しなければならなかったことは、〇〇ム真理教は宗教だったのに物質を使って皆に悟りを開かせようとしたことですね。ヘッドギアとか嵌めさせたでしょう。それから薬物を使ったでしょう。それによって教祖がチベット密教によって悟りを得たという世界へ皆を引き上げてやろうとしている時に「ヘッドギアをするといいよ」、 「薬物を使うと早く悟りが開けるよ」とやってしまったために宗教でなくなってしまったのです。それで宗教でなくなった時に〇軍派上がりの幹部が関与して〇シアと繋がって武器を購入したりしてハルマゲドンというのを物質的に起こして行こうとしたために間違ったことになった。宗教というのは霊の世界を行使していくはずなのに物を使ってやろうとしたために間違ってしまったのです。霊の世界に物を持ち込んだことが間違いなのです。そういうことを宗教に携わる人達が整理してもう一回自分たちの宗教を洗練していこうということをして行かないといけません。例えば、MOAは御経綸と称して「おひかり」をどんどん変えているでしょう。これは〇〇ム真理教の事件を全く教訓にしていないという事ですね。「あいつら馬鹿なことして・・」ではいけないのです。本質的なことを見抜いて行かなければね。いわゆる宗教がなすべきことは何かという探求が無かったからなのです。ですから物を変えていくということに何時までたってもこだわっているのです。


●霊主体従に沿ったものの考え方をすれば奇蹟が溢れる


主之光教団も気付いたのですけども、また組織論が前面に出て唯物的になってしまっているから奇蹟が少なくなってしまっているのです。奇蹟が起きないのは光の玉の働きの受け止め方ということ。奇蹟がどうして起きるかと言うと霊主体従の法則によって起きます。この霊主体従の法則に沿ったものの考え方をして行かないと御守護とか奇蹟とか起きて来ないのです。そういうことに自分の考え方を持っていくと回りは奇蹟で溢れてきます。今日来られなかった人にもこの話をしておいてください。


●宗教とは


(質問者)

テレビでナイジュリアの牧師が子供を対象に魔女狩りを始めてしまった。というのをやっていました。それでも宗教と言えるのでしょうか。

『「魔女狩り」にあう子どもたち、父親から火をつけられた少年の体験談 ナイジェリア』


(先生)

いや宗教なんですよ。だから宗教と言うのは大まかに分けると自然宗教というのと創唱宗教とに分かれます。自然に発生してきた宗教とそれからある教祖がいて教えを作り上げて来た宗教とにね。今の話はそれを合体したような勘違いの宗教なんですね。自然宗教のわかりやすいのは山に毒蛇がいたりね。毒を持った植物もあるので入っては行けないという集落の決め事があったとするね。原始時代にね。だけど若者は好奇心が旺盛なので山に入ってしまい毒蛇に噛まれて瀕死の状態で担ぎ込まれて帰ってくるとします。そうした時に宗教は何をすべきかというと真っ先に治療をすることはないのです。苦しませておきながら村人を全部集めて「今この若者は村の決めごとを破ってあの山に入ってしまった。だからこのように死にかけている。だからあの山には絶対に入ってはいけない。ということを皆肝に銘じてくれ。わかったか」と全員に念押ししていくのです。そういうふうに全員の確認をとってから死にかけている若者の治療を始めるのです。これが自然宗教のやるべきことだったのです。そういうことで集落を守っていたのです。だからおそらく縄文時代はそういう生活だったと思うのです。 その当時は昼の時代ではあったので戦いはなかった。しかし子供で死んだ人達は多くいたのです。三内丸山遺跡が代表例ですが子供の墓地とかもあるのでね。昼の時代でもそういうことは起きていたということですね。しかし非常に狭い範囲内で生活をしていたのでそういう集落をずーっと守っていたということですね。しかも千年を超える間同じところに住んでいるわけだから。その堆積したものがあそこから出土したので三内丸山遺跡の全体像を見ることが出来るようになったわけです。当時新潟地方と交易していたということなので日本全土にそういう集落があったということがわかります。そういう集落のひとつひとつが自然宗教を持って集落を守っていたのだということです。

部族長、宗教の長がいて皆を教育して守っていくということに取り組んでいたわけです。そうするとね、山に入って行った子供はね魔女ともいえるわけです。皆の決め事を破って山に入って行ったから、だから死にかけている。だから魔女だと確定しない限り皆が同じことをやると困るから戒めて、そして救えるものは救おうという宗教的な活動をやったわけですね。だからそれが現代まで続いてきている魔女狩りとは変わってきていますね。自然宗教ということと時代の発展と言うこの時代性を取り入れない自然宗教的な事だけを当て嵌めて人心の掌握をはかろうとするやり方なのです。ですから非常に時代遅れの手法を現代に当て嵌めてやっている宗教行為だというふうに解釈しておかないと、そういうのが未だにあるのだだけではね。だからメシヤ様が「宗教と雖も進歩発展しなければいけない」とおっしゃっているのは、その部分を指摘しているのだというふうに御教えと繋げて解釈していくと、宗教が発展していって時代に即応した形に整えて行かないとすべての文化とかが育ってこないのだというのがメシヤ様の考え方なのです。そういうふうにテレビを見た時にもう一度御教えに沿って組み立てなおしをされると非常に良いのではないかと思います。


(質問者)

ナイジュリアでは教会と当事者の問題として当局の取り締まりもゆるいそうです。


(先生)

それでね。宗教家の多くが勘違いしているのはマルクス思想の本質がわかっていないということです。教会と為政者が結託して、そして庶民を苦しめているから、この教会と為政者を分離してゆく。その堕落した教会側が諸悪の根源だと規定したのがマルクス主義なわけです。だからそのマルクス主義だけを見ていくと教会と政治家と癒着して庶民を苦しめている。この庶民を救うというのが根底には有ったわけです。しかしそれを政治に利用して共産主義というのを作りだしたためにこれがまた問題を起こしてしまったというのが実態なわけです。特権階級だけが裕福な暮らしをしているという国は本来のマルクスの考え方と全く違ったところに政治家がまた利用してしまったということなのです。こういう馬鹿げたことを人類は繰り広げているのでメシヤ様は「宗教改革をしないといけない」と仰ったのはそういう事もすべて改革していくということなのです。ですからメシヤ様の宗教改革と言うのはですね、そういう人類の歴史を分析してそしてメシヤ様の教えを読んでいかないと、メシヤ様の目指していた内容と言うのがさっぱり理解できないで教団運営を行っているということになってしまう。それがね今の世界救世(きゅうせい)教の運営の実態なわけです。


●イエス・キリストが日本に来たという伝説


そうしないとねイエス・キリストが本当に日本にきただろうという確信が持てません。イエス・キリストが七年間所在不明の時期があった。その時は日本に来て勉強してまた向こうへ帰ってそれから奇蹟が出始めたのだと言う伝説ですね。その奇蹟の根元は何かと言うのは、こういう学習を積み重ねていかないと伝説だけで終わってしまいます。しかし日本の古代の文化をしっかりと学べば必ず奇蹟が出てくると言う確信が持てるからね。我々はメシヤ様の教え通りにいっていると奇蹟がどんどん許されているわけだからね。その本元というのは伊都能売神皇の時代に有ったわけだからね。この伊都能売神皇に教えを請えば必ず奇蹟は出てくるわけだから。あるいはその伊都能売神皇の教えを守っている智慧を継いだ人達のところへ行って教えを請えば必ず奇蹟は出てくるわけだから。だからイエス・キリストは日本に来ただろうとその点に置いて言える訳です。それが今の如意宝珠と非常に繋がっているわけです。珠とね。そういうふうに繋げて考えていくと我々の人類史というのは手に取るようにわかってくる正邪達の動きがね。


(質問者)

日本が文化の発祥の地なのですか


(先生)

うん。ほらアインシュタインが日本に来た時に日本がすべての文化の発祥の地だと感じたという有名な言葉が残っているでしょう。人類の生命が最初に発生したのはアフリカだけどずーっと移住してきて日本で人間になったと。宗教行為の最初はネアンデルタール人だけど、文化と言う形成ができたのは日本だとね。


(質問者)

大陸と陸続きだったのですか。


(先生)

そうそう、だけどキリストが来た頃は逆に離れていた。2千年前ですから、温暖化が終わって少し冷えて来た時代ね。まだ津軽海峡は離れていた。北海道も二つに割れていた時代ですね。縄文遺跡によってわからせていただけますね。遺跡を見ると三千年来の罪穢れと日本の地形とかが繋がってきます。遺跡が出たことによってね。すると御教えの三千年来の罪穢れということが科学的に実証されてきているということですね。


(質問者)

伝説ではイエス・キリストは日本のどこに行ったのでしょう。


(先生)

それははっきりしない。おそらく日本で研鑚しただろうという伝説でね。でもそのころは伊都能売神皇はインドへ下っていたから伊都能売神皇に直に教えを受けたわけではなくて、あとを継いだ天照皇后やその付き人の誰かに教えを請うて帰ったのではないかと。


(質問者)

言語が違うのにね。わかるのですか。


(先生)

言語が違ってもメシヤ様はこの御教えの何号か前にスターリンを呼び出したりしてたでしょう。


(質問者)

霊的にお話されたということですか。


●日本語の言霊(五十音)を大切にしよう


(先生)

というより日本に来てすぐに日本語を習得したのではないかと思います。神代文字の中にはアルファベットの原型であったものやハングル文字の原型であったものも発見されています。そしてこの日本語の母音と子音の組み立てをマスターすれば大きく変わってくるからね。だから少し知恵遅れの子供でもアイウエオ カキクケコ ・・・・ということを毎日言わせると遅れが修正されていくよ。日本語は母音と子音の調和がとれて素晴らしい言語なわけです。その言霊のいちばん根っこになっていることを習得して行ったのではないかと思います。だから伊都能売神皇が観音様になって御釈迦様に教えた根源と言うのもそのことが中心なのです。だから曼荼羅が最後に出来あがった時に曼荼羅というのは「ヲシデ」を表にしたのが曼荼羅なわけです。ホツマツタエに出てくるでしょう。ヲシデの表を見て下さい。丸い表があるでしょう。ヲシデというのは今の あいうえお かきくけこ ・・・ を決める前は あかさたな はまやらわ ではなかった。言霊によって人体の臓器が出来上がります。ですから多くしゃべった方が良い子が出来るわけです。数学的に言うと順列、組み合わせがこの中で起きてそして言霊に導かれて臓器が出来あがってくる。その言霊の一番元になっているものにヲシデというものがある。それを皆にわかりやすくする為に仏様の絵を添えて作り上げたのが曼荼羅になるわけです。日本語は外国の人にはわかりにくいので、〇〇如来というのをそこに組み立てていったのが曼荼羅なわけなのです。庶民に絵によってわかるようにしたのです。 その本元が言霊なのです。そういう世界があるのだということを知ってこれから勉強して下さい。(笑い)


(質問者)

一般に企業は外国語の習得を推奨しますが、まず日本語を学べという企業も出てきているそうです。


(先生)

だから天皇陛下が海外へ行って英語をしゃべるのは御控えいただきたいですね。皇太子様までは日本語でお話いただきたいと思います。日本で一番霊的に高い人は海外でも日本語でお話していただきたいのです。そうしないと世界が変わっていかないのです。だから企業の中で気付き始めた人がいるというのは非常に有り難いわけです。日本語には世界で響かなければならないという役割があるわけなのです。みなさんはそういう尊い日本語を身につけているのですよ。


(質問者)

小さいころから英語しかしゃべってはいけないという学校もあるようです。


(先生)

もう親たちが日本語を疎かにしているね。それから日本人の一番の勘違いは宗教を持っていないことが如何に恐ろしいことかということをわかっていないということです。先進国では宗教を持っていない人は野蛮人と思われるわけです。確固たる宗教を持っていて初めて人間として認められるのです。そして日本の文化がわからないといくら英語が堪能であろうと相手にされないのです。ですから日本の文化を嗜みとして幼少の頃から学んでおかなければ行けません。そういう事がわかっていない人があまりにも多い。親がわかった上で教育しつつそして語学を教えていかなければいけません。


(質問者)

明日は9.11テロの日ですが、明日キリスト教信徒がイスラム教のコーランを焼こうとしている動きが報道されています。今先生からキリストが日本に来られていたというお話をうかがいながら、大分に来たのではないかなとふと、思いました。また伊勢とも関係があるのではないかと。自分で想いを巡らせておりました。


(参加者)

伊勢神宮の参道に五芒星の灯篭がありますしね。


(質問者)

モーゼも日本に来られたとの話も聞きました。


(先生)

そういう伝説もありますね。


(質問者)

何処から来られたのでしょう普通に考えたら北陸の方からかと思うのですが。


(先生)

だからメシヤ様は七尾だけは行かれたのだと・・・メシヤ様直々に行かれて浄めて置かなければならなかったのではないでしょうか。救世(きゅうせい)教の先生方は他の教団の学びが疎かなものですからメシヤ様の教えをまだわかりきれてないところがあるのではないかと思います。イスラム教もキリスト教から出てきたことすら知らない人がいますね。今のコーランの話では自分の分身を焼くようなことになりますからね。そういうことは日本からもキリスト教関係者に警告を発していかなければいけない時期を迎えているのではないかと思います。

我々は御教えと出会いそれだけ大きい宗教観を持つことが出来たので大変有り難いことだと思います。ぜひ子供が小さい時にお風呂とかで五十音をね。きっちりと頭の中に響かせるようにしてあげて下さい。そうすれば頭の中が整ってくるからね。


(質問者)

全然整ってないわ。家の子は。


(先生)

だから、言霊で親が整わせて行かなければいけません。


(質問者)

癇癪なおるかなあ。


(先生)

治る治る。それは後ろ頭を良く浄霊して行かないといけないね。


(質問者)

子供が普通でない態度様子の時にはどのようにさせていただいたら宜しいでしょうか。


(先生)

子供にいろんな症状が起きた時には、メシヤ様から見て自分はどうなのかということを良く考え直さなければいけませんね。子供は親の写し鏡なのですよ。


●浄霊力伝授と入会の違い


(質問者)

浄霊力伝授と入会の違いをお教え願います。


(先生)

浄霊力伝授していくためにメシヤ教を支えていこうと。協力者になっていこうというのが入会するということです。私共は入会したからにはその人を全力で幸せにしていかないといけないのでね。これが宗教の役割ですから。だから時々きついことも言いますよ。


(質問者)

〇〇がそんなきちんとできなくて。


(先生)

御神体をいただいてからきちんとなればよいですよ。これからね。いい加減でない信者になってください。それはね今まで魂の霊籍に応じていい加減にしてきたのです。これがメシヤ様にしっかり繋がっていこうと思えばそういうところを少し修正していけば良いのです。


(質問者)

〇〇はそんな神床お掃除をする人ではなくて・・


(先生)

それはそこまで魂が高まった人がすればよいのですから。それまでは自分が一番わかっているわけだから自分で神床のお掃除をすればよいです。そういう姿勢を持っておいていただければ良いです。大体皆さんもうメシヤ教の信者のようなことをやってますからね。


それでは時間になりましたので一旦終わらせていただきます。ありがとうございました。


(参加者)

ありがとうございました。


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