メシヤ講座三重

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質疑応答形式で作成を始めた19年11月度からの「メシヤ講座・三重」を掲載していきます。
個人のプライバシーに関する記述および個人を特定できてしまう記述は編者の独断で省略しておりますので文章につながりがないことがございます。
また、筆記で作成していますので表現上書きとれなかった箇所もございます。 
ご賢察の程お願い申し上げます。

平成22年7月分




メシヤ講座特選集No.113
<メシヤ様対談記・>
明主様(メシヤ様)と
法大文学部長・美術評論家 谷川徹三氏との御対談(三)
  (栄光二百十三号 昭和28年6月17日)

●対談記を拝読して


(先生)

メシヤ様が専門家の谷川氏に質問されておられる内容を拝読すると、茶碗の見方が良くわかって良いですね。茶碗というのは茶室で見た時に良いように出来ているわけで、あまり明るい所で茶碗を見ても本当の良さは良くわかりません。茶室の薄暗い所で見るのが一番良いわけですね。そういう見方がこういうふうに拝読をしていると良くわかりますね。MOA美術館の茶碗も良く出てきますが、これはMOA美術館のホームページで見ることができます。

(質問者)

直接「膳所光悦(ぜぜこうえつ)」の茶碗でお茶をたてられたのですね。

(先生)

すばらしいですね。それで谷川氏も喜んでおられますね。西の方ですと萩焼の茶碗なんかわりと手頃に買えますね。私が学生時代、萩焼を購入したときに窯元の方から「使う前に、まず抹茶をたてて茶碗一杯までいれて2、3日置いておいてください」と言われました。そうすると貫入(かんにゅう)に抹茶が沁み込んで使えるようになります。ただし、高台はお皿に水を溜めて浸しておかねばなりません。高台が染まってしまうからです。そうして、使うごとに貫入へさらに味わいが出てくると・・・。まあ、そういうふうに扱ってください、ということでした。それが焼物に対する見方、扱い方の第一歩でした。19歳の時でしたね。その時に茶碗の見方も教えていただきました。今日拝読していてそうしたことを懐かしく思い出しました。

貫入】weblio辞書より抜粋  

読み方:かんにゅう
釉面に現われたひびのこと。素地と釉薬とでは焼成と冷却の間の膨張や収縮の度合いが違うためにおこるものです。貫入は一種の装飾効果として、大堀相馬焼・薩摩焼・萩焼・粟田焼などでは多くみられます。

(先生)
谷川氏が、『茶碗というのは使ってないと死んでしまうのです。(中略)持たれることによって茶碗自身にあるものが引き出されるのです。』と言っておられますが、人間の霊気というものが入って行くから茶碗と言うのは持ち味を出せるようになるのです。家でもそうでしょう。家は人が住まなくなるとすぐ悪くなるでしょう。こうやって住んでいることによって人間の霊気を家が吸って維持できるわけです。ですから茶碗というのも人間が触ることによってそういう良さがでてくるのではないでしょうか。作家が心を込めて造ったという事と人間がそれを愛でていくことによって良さが発揮されるのではないかと思います。

●自然農法・・後はあなたの決心だけ


(先生)

ところで、今日の茄子は自然農法でつくったものです。

(参加者)

○○さん自然農法をやる気になりましたか。

(参加者2)

・・・

(先生)

自然農法で作った野菜は皆が安心して食べられるからね。そして多く出来たら皆にスーパーで売られている位の金額で分けてあげればよいからね。

(参加者)

この前もお話がありましたよね。「あとはあなたの決心だけです」と。

(参加者2)

そうですね。


●「○から○った。」


(質問者)

『○から○った』とありますが、これは『天から降った』でしょうか。


(先生)

いや資料を解釈すると、おそらく元々は『伊邪那岐尊様から賜った』という意味ではないでしょうか。


(先生)

ですから古事記の表現をそのままお使いになられたのではないかと思います。これは明かされていないのでね、わからないですけども、しかし、資料(メシヤ様の御精神を現代に求める座談会)に沿って考えると、言えないので伏せてあるということですからね。座談会の資料内容を読んでいけば類推できるのではないでしょうか。


(質問者)

そうですね。『天から降った』ですと、わざわざ伏字にする必要もないですね。


●自然農法は、人を幸せにできる鍵


(先生)

みなさんは前の教団で入信教修を受けられた方も受けなかったかたもおられるでしょうが、まず第一講で『霊主体従の法則』をしっかりと学びます。そして第二講が『夜昼転換』です。そして第三講がメシヤ様のお話を中心にして『地上天国建設』をどのようにしてやっていくかということを学びます。それでああそういうことにこれからお仕えさせていただくのだなあ、ということで入信式になって行くわけです。昔はメシヤ様の時代は7日間やってました。それを短縮して3日でやるようになったのですけどね。それで、そういうことがしっかりと入っていないと『霊主体従の法則』に則って我々は幸せになっていくわけだから。その幸せになっていく方法をまず教修で第一段階で勉強するわけです。で『霊主体従の法則』がこの世を貫いているのだから、御浄霊をすると体が浄まり体が健康になって問題が解決していく。そうすると、今度霊がせっかく浄まったのに、また霊を曇らせてしまうと幸せになりかけても不幸になっていくから、この霊が曇らないようにするのが月々の「月次祭」とか「感謝祭」でお話を聞いて「霊を曇らせないように生活をしていこう」と決意を固めていくのがこの月次祭の意義なのです。そうすると、霊が浄まり続けるから幸せになって、すべてが恵まれてきます。そういう方法を入信教修などで教えるわけです。それでそういうことを学んでないと浄霊だけになってしまいますね。それで浄霊で浄まるのですけども、また元の生活に戻ってしまうから、これのいったりきたりの生活になっていくのね。まあみなさん回り道はしたけども『霊主体従の法則』とそれに付随する『霊体一致の法則』を身につけて、そして「夜昼転換」についても学んだわけだから、それを生活の中に生かしていくということが大切です。それで自然農法の食物を食べないといけないと言うのは、これは「霊体一致の法則」に基づいて霊を曇らせない為にぜひやっていただきたいことです。皆を幸せにするために自然農法をやってもらいたいのです。ただ健康の為だけじゃないのです。農薬とか化学肥料の入ったものを食べると、「霊体一致の法則」に基づいて霊が曇ってしまう。だから幸せにはなれない。健康になれないだけではなくて幸せになれないから、「霊体一致の法則」に基づいて自然農法をやってもらいたいということです。人を幸せにできる鍵なのですよ自然農法は。


(質問者)

ははは・・


(先生)

どんどん追いつめているみたいね・・・(笑い)


●寺で善言讃詞を奏上


(先生)

この前お寺の掃除をして善言讃詞を奏上していただいたそうですね。


(質問者)


はい。半年に一回なのですが。


(先生)

いや半年に一回でも、させていただくことは良いことですよ。


(質問者)

一緒に掃除して下さる人に「祈りの栞」をお見せしたのですが、説明がうまくできませんでした。


(先生)

善言讃詞は「観音経を縮めたものです」と説明すれば良いですよ。観音様はすべての宗派に対して受け入れられるから。まあ、そういうところで善言讃詞を奏上するのも緊張しますが、私が一番緊張したのは法隆寺の夢殿の前で係の方に了解を頂いて善言讃詞を大勢で奏上させていただいた時です。あれが一番緊張しました。観光客が寄ってきてね、共に手を合わせている姿には感動しました。


(先生)

地上天国祭の挨拶は何度も読んでおいてください。


●悪い因縁は断ち切るということ


(質問者)

「『因縁を断つ事を神様に真剣にお願いし御祈願をさせてもらいないさい』と御指導戴きました」と広島のブログにありましたが、結婚するというのは産土神様の働きもあって因縁で結ばれたのだと思いますが、それをも断ち切るということですか。


(先生)

断ち切ると言うのはこれは言葉不足で、悪い因縁を断ち切るのです。繋がりを断ち切るのではないのです。良い因縁はさらに良くしていかないといけないのです。悪い方の因縁は奇麗にしていかないといけないという意味です。


(質問者)

結婚できないのはどうしてですか。


(先生)

それは一番の、子供ができないよりもっと罪があるということです。(笑い)


(質問者)

名前とかは関係ありませんか。

(先生)

それはね。○子とかつけていると孤独を好むようになるとかね。それが一つ。それから絶世の美人は龍神が憑ってしまうことがあるから、龍神が結婚しようとするのを止めてしまうという事があります。これは絶世の美人の話ですよ。

(参加者)

じゃあ、私・・・(笑い)

(質問者)

最近は男性の独身も多いですよね。

●メシヤ様の御在世時代にはなかった『霊体一致の法則』における事象


(先生)

メシヤ様の御在世時代にはなかった『霊体一致の法則』における事象というものもあってね、科学物質があまりにも多くて所謂ホルモンの分泌が少なくなっている。ぶっちゃけていうと男性の性欲が減退していくのです。根本は精子が減少してきているから男の人が結婚しなくても良いということもあります。これは罪ということとあわせていくともっと深刻な問題ですね。それから女性もホルモンの分泌が悪いので恋愛とかする気のない女性が増えていますね。

(質問者)

恋愛しても結婚しないと言う人も多いですね。

(先生)

それはそうだね。

(先生)

それから親が子供を産むことの素晴らしさを子供に教えていないのです。「あなたが私のお腹にいるときはこうだったのよ」とね。何にも代えがたい喜びがあったのだということを教えていないのです。だから子供を生んで育てるという喜びを知らない女性が多いのです。また、そういうことを語りませんね、最近は。とにかく子供を生むとお金がかかる事ばかりでね。今、民主党政権で高校の授業料は無償ですが、また政権が変わったりしたらどうなるかわかりませんが、とにかく子育てには金がかかります。それでお金の方が前面に出てくるので子供を育てるのは大変だという思いが膨らんでしまいます。

●主神様を信仰することの意義


(先生)

今回『ミクラタナの神様』の御神名が明らかになったという事は、私達は主神様を信仰するという事はどういう事かというと、主神様の御存在を一言で表現するとすると、今日読んでくれたでしょう。「抑々世界の創造主たる主之大御神(エホバ)は・・」世界の創造主だから所謂(いわゆる)宇宙そのものですね。するとその大きさはというと半径150億光年プラス光の速度で拡がっている御存在と言わねばなりません。科学的な話をするとね。大体150億年経っているわけだから・・・150億年前にできた瞬間から光の速度で拡がっているわけだから。光の速度と言うと地球の周囲を1秒間に7回半回るスピードで拡がっているということです。そういう御存在が主神様だということです。


(質問者)

その太陽もいつか寿命がきて周囲に惑星となって飛び散る時に・・・これはテレビで見た話ですが、太陽の黒点は最終的に残ると。そして黒点が周囲に作用してまた惑星を形成するとまた黒点が中心になって宇宙ができるのだというようなことを言っていました。主之大御神様の神御魂が御神体に宿られた形なのかなあと思うのです。


(先生)

そうですね。そういうふうに解釈する方が人間としては一番わかりやすいです。じゃあこの宇宙の中心はどこかと・・・さっぱりわからないですね。しかし肉体を持った生き物が認識できるのは今のところ地球・・・地球のなかにどうして生命が宿る事ができたかというと太陽と地球の距離の400分の1の距離に月がある。この関係がまず生命が存在する必須条件としてあります。この距離がずれると生命は宿れないのです。太陽に近くなると灼熱になるし、遠くなると極寒なります。だからこの太陽と地球の距離が一番生命が宿ることのできる距離なのです。太陽系の中心は太陽だけど、宇宙を見るとこの地球の為にすべてあるというというように解釈できます。


太陽から太陽風というのが出ていますね。これは地球に当たった時には地球の大気を剥(は)ぎ取るくらいのエネルギーがあります。しかし、地球には磁場があって太陽風がフワッと分かれていくから地球の大気は剥がれない。でも火星は大気が昔あったのだけども磁場がない為に全部剥ぎ取られてしまった。だから氷の塊はありそうだけども肉体的な生命は宿っていない。そして、そんな恐ろしいものが太陽から何のために出ているかと言うと、次には宇宙の果てから恒エネルギーが迫ってきている。この恒エネルギーは何かと言うと我々の分子の結合を崩すぐらいのエネルギーだから太陽風がなければ恒エネルギーが通った瞬間に私達の体は分解してしまう。結合しているものが皆分子にわかれてしまう。そういう恒エネルギーが流れてきているのを太陽風が止めてくれているのです。


そうすると、地球の中に生命を宿らせるためにそのような仕組みをしてくださっておられるのです。それが主神様であるのです。だから科学的な勉強をしなければ本当の感謝は生まれてこない面もあります。心底の感謝と言うのはそのような仕組みがわかって行かないと生まれてこないのです。そういった仕組みを系統立てて学校では教えてくれませんね。しかしメシヤ様の御教えを読んで科学を勉強していくと、この教義と科学の研究が一致すると主神様のお仕組みが全部わかってくるのです。そういうふうに頭の構造を少し整理して頂くと神様の御経綸が次第にわかってくると思います。


●生きていく上で尊いものが明かされた


(先生)

何回か話したことあるから地球にどうして水が出来たかという事は覚えているでしょう。彗星が2千年に一度とかやってくるでしょう。あれは氷の塊でしょう。氷の塊ができる場所があって、そこまで行ってそして太陽に近づいてくるから太陽の光に当たると溶けるでしょう。それで箒星になります。そしてまた小さくなって帰ってまた大きくなって・・・、あれが一杯昔は地球にぶつかってきたわけです。すると溶けて水蒸気ができるでしょう。そういうのを繰り返して地球の周りに水蒸気が溜まって地表が冷えて中にドロドロしたものだけが残って天体になったのです。


水蒸気が溜まったから今度は雨を降らせるようになって雨が降る事によって海が出来て来たのです。その当時お月さまができていたから海が出来たことで満ち引きができたのです。そし雷が落ちて塩基ができたのです。それから進化が始まったのです。月と言うのは1年に約4センチずつ地球から離れています。そうすると38億年前に地球に生命が宿ったという事は、38億×4cm 月は近かったという事です。月との関係で生命が誕生したという事を人類に教える為に、漢民族を通して、漢字を教えた時に人間の体を表わす部位は月(にくづき)にしたわけです。


そういう事を知れば知るほど主神様の御存在に対する感謝というのは、宇宙の拡がりと一緒で我々の学びが広がる事によって、その感謝がどんどん広がって行くわけです。勉強しないと感謝が広がって行きません。だから妊婦さんの胎内では3か月くらいまでは魚の形ですね。3か月を過ぎると爬虫類になってくる。つまり陸上動物ですね。そして5か月になるとほぼ人間の形になります。それから今度は各種神経が胎児の中に育ってくるわけです。そして最後に視神経ができます。だから未熟児で生まれてきて 保育器に入れた場合目が悪くなる可能性があるのは、視神経が伸びる時に変なものが影響すると視神経が伸びない。すると弱視になってしまうので未熟児でなるべく産まない方が良いので、なんとかお腹の中に保って生んだ方が良いですよ、ということです。ですからメシヤ様は5か月を過ぎた子供が流産する事があった場合には必ず祀らないといけない、と御教えくださっておられます。ですからメシヤ様は今まで述べてきたことを御承知の上で話をされておられたのだ、ということが後でわかってくるわけです。我々が確証を重ねることによってね。これを昔の人はきまりだけでやってきたわけです。で「どうしてですか」と聞くと「そういうことになっているから」と。それでは若い人は納得できないのです。しかし、この進化の過程を全部勉強していくと5か月になった時にはもう人体になっているから「そういうもんだ」ということがわかってくるのです。


そして娘はだんだんと生意気になってきて母と娘は精神的な闘いをずーっとしてお互いに向上していくのです。生意気の中身はなにかというと、どうやって生意気になっていくのかというと、言葉の習得なわけです。言葉で考えるでしょう。想念と言っても言葉で想念だから。 愛おしいと思っても・・愛おしいと思うから愛おしいわけで、あるいは愛おしいという感情が起きてくるから、そしてその愛おしいという言葉は言霊(ことたま)で成り立っているのです。その言霊(ことたま)を並べる棚がミクラタナというものでもあるのだという解説もあるのです。今回は我々にとって生きていく上で尊いものが明かされた、と、いうふうに考えて頂くと宜しいのではないかと思います。



「太陽風」出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』

太陽風(たいようふう)は、太陽から吹き出す極めて高温で電離した粒子(プラズマ)。毎秒100万トンもの質量が太陽から放射されている。この風が地球の公転軌道に達するときの速さは約300〜900km/s、平均約450km/sであり、温度は106Kに達することもある。地球磁場に影響を与え、オーロラの発生の原因の一つとなっている。高速の太陽風は、コロナホールや太陽フレアに伴って放出されていると考えられている。 同様の現象はほとんどの恒星に見られ、「恒星風」と呼ばれる。なお、太陽系外からの銀河宇宙放射線の流入量は、太陽風を伴う太陽活動と相関があり、太陽活動極大期に銀河宇宙線量は最小になり、太陽活動極小期に銀河宇宙線量は最大になる。これは太陽風が、太陽系外から流入する銀河宇宙線をブロックするためと考えられている。銀河宇宙線のエネルギーは強大で、ほぼ真空の宇宙空間を飛翔する岩石結晶には、銀河宇宙線による細かい傷が見られる。銀河宇宙線が直接生命の細胞に当たれば、細胞はひとたまりもなく破壊されてしまう。一般には良く知られていないが、太陽風はこうした強大なエネルギーを持つ銀河宇宙線から、地球生命を守っている。米国のボイジャー探査機には、太陽系を離れるにつれて次第に強い銀河宇宙線が検出されているという。太陽に接近して尾ができた彗星において、尾が常に太陽と反対方向に伸びるのも、彗星表面から蒸発した物質が太陽風によって吹き流されるのがその一因である。


太陽風には太陽内の水素・ヘリウムおよびそれらの同位体が含まれており、月などの大気のない天体表面にはそれらが堆積している。特に核融合燃料として有望なヘリウム3が月面に豊富に堆積している事が確認されており、その利用が月開発の目標の一つとなっている。


●言霊(ことたま)について


(質問者)

「アー」という言葉を吐き出すようにして集中して、それから事に臨みますとそれをしなかったときより数倍スポーツの記録でも頭の能力も良くなるということをテレビでやっていました。


(先生)

布教施設での慰霊祭の時には「天の数歌」を唱えるでしょう。最後の所で警蹕(けいひつ)をかけるでしょう。「オー」とね。3回かけます。尊いものを運ぶ時には「オー」という言葉で運ぶということがあるわけです。皆の魂もそういう言葉をかけていくと浮き始めてくるのです。


(質問者)

浮かせるわけですか。


(先生)

いや、浮いて運ぶのです。だからザワザワとしてくるのです。人間は霊界から生まれてきているから、そういった意味で感じてしまう人もいるわけです。体験としては布教施設での慰霊祭も良いのでしょうが、今度はそういったことばかりに興味を持ってしまう人が出てくるからね。家庭で丁寧に慰霊を行うのが良いのです。帰るときには後を引くといけないから「オーッツ」と止めないといけないですね。そういうことが背景にあって、そういう言葉をかけているのです。ですから仏壇のお位牌とかも掃除するでしょう。そういうときにも小さい声で 「オー」と発声して運ぶのが余計丁寧な方法です。そういうふうに礼を尽していると御先祖様はとても気持ちが良いわけです。


(質問者)

掃除して戻すときにはどうすればよいのですか。


(先生)

戻すときも同じく尊いものを運ぶわけですから「オー」と発声して安置します。


●作法を整える


(先生)

一つ一つこうして意味を追求していくとね。ものすごく作法が整ってきますね。


(先生)

八足の表裏は?溝がないきれいな方が表です。嵌めこんでいるからね。そしてこの八足を持つ時はこういうふうに下に手を添えて持つ。 そして、座布団は縫い目のない方が表です。そして、この房のところを持って下に手を添えて神様の方にお尻を向けないように移動します。どう、所作がかっこいいでしょう。神式の場合、円座後取(えんざしどり)が基本になっているわけです。そして動作をする時には必ず、一揖(いちゆう)してから動きます。ですから御教え拝読の時もね、一揖(いちゆう)してから御教えを受け取って下さい。それはね本来は御教えを拝読する人が自分で取りに行かないといけません。 一揖(いちゆう)して立ち上がって、その前まで行って、そして一揖(いちゆう)して受け取ります。そして皆さんの方を向いて拝読します。ここはそこまで広くないので手渡しですが、そういう正式なことも覚えておくと良いです。そして御教えはね、祭事で使用するのだから、それ専用のものをおいて置かなければいけません。 眼鏡をかける時も一揖(いちゆう)してからかけた方が良いですね。こういう話が出るのもね、必要に応じて出てきているわけですから、今日はこういう勉強をしなさいということですね。


拍手(はくしゅ)の仕方は習ったでしょう。三拍手(さんはくしゅ)の仕方。両手を合わせて、右手を左手の中指の第二関節まで引いて、そして両手を肩幅まで開いて拍手する。近づく時に加速度をつけると良い音が出ます。すぐには出来ないけれども、そういうことを心がけてやり始めると様(さま)になってきます。ついでに正座の仕方ですが正座は親指と親指を重ねます。しびれてきたら親指を重ね替えます。


(質問者)

それでもしびれます。


(先生)

それはしようがないね。男性の場合は膝と膝の間に拳がひとつ入る位開けて座ります。女性の場合は開けません。そしてお臍のちょっと下を前に突き出す座り方をすると格好良いです。背筋を伸ばすと下腹が出ている人もきれいに見えます。それをしないと皺(しわ)ができます。皺(しわ)を伸ばすのです。


(質問者)

拝(はい)の時の右手の指はどのようにしますか。


(先生)

手はね、右手に灼(しゃく)を持っているつもりになります。ですから右手を左手で包む形になります。


(質問者)

ああ灼(しゃく)を持つという意味ですか。不浄な右手を隠すという意味ではないのですね。


【参拝の作法】

一揖(いちゆう) ・・・揖(ゆう)は30度程度に腰を折り拝をする動作のこと。

二拝(にはい) ・・・拝(はい)は90度程度に腰を折り平伏する動作のこと、2回、繰り返す。

三拍手(さんはくしゅ)・・・ 拍手(はくしゅ)は両手を合わせて指先を鼻の高さに揃え、右手を左手の中指の第二関節まで引きます。両手をおよそ肩幅まで開いて、三回手を拍(う)ちます。


●消毒について


(質問者)

幼稚園で消毒を何度もさせられるところがあります。


(先生)

ある病院でね。消毒薬を使うと返って治りが悪いということが定着したという話がありました。だから怪我をして病院に運ばれても、そこの病院では水洗いをしてそしてラップを捲くそうです。それが一番治りが早いそうです。


(質問者)

その幼稚園では子供たちが外で遊んだりして戻ってくれば、すぐに強制的に消毒をさせるのです。それで心配になりました。


(先生)

そういう幼稚園には通わせない方が良いね。今、日本人で痔が物凄く増えている原因は温水洗浄だから。温水洗浄をするから痔が増えている。清潔にしすぎるのです。適当な不潔も必要なのです。手を消毒すると手の皮膚を維持する菌まで消毒してしまうので、手がカサカサになってしまう。だからそういうこともわからない幼稚園には子供をやらないことです。先生方が勉強不足だからね。だからそのような幼稚園にやるくらいなら家で育てた方が良いです。


(質問者)

食事には気を使っているようなのですが。


(先生)

だからどのように食事に気をつかっているのでしょう。無農薬なのですか。


(質問者)

そこまでいきませんが地元の減農薬のものを使用して手作りをしているそうです。


(先生)

しかし、減農薬は何回までは農薬を散布しても良いという基準があります。また、その手作りしている人も皆消毒してからつくっているのでしょう。


(参加者)

そうですよね。(笑い)


●柔軟剤について


(先生)

今はね、ホテルとか泊ってもタオルが柔軟剤を使ってあるのです。柔軟剤を使われるとこっちは困るわけでね。薬剤だから。


(質問者)

見てわかるのですか。


(先生)

柔らかい、タオルが柔らかいというのは柔軟剤を使っているのです。カサカサにして拭いた時に少しバリバリするくらいでないとね。


(質問者)

柔軟剤を使用していないホテルはないでしょう。


(先生)

いやあるよ。柔軟剤を使用しないでくれと言っていかないとどんどんどん使い始めるね。それに皆柔軟剤を食べているんだね。お菓子をね。柔らかい餅なんかね。ついて翌日にまだ柔らかい餅は必ず柔軟剤が入っています。餅は固くなるものですから歯ごたえのない餅は必ず入ってますよ。


(質問者)

葛餅はどうですか。


(先生)

葛(くず)餅は葛だからすぐには固くなりませんね。


(質問者)

小さな個人のお店はどうですか。


(先生)

つくったら売りきらないといけないのでね、柔軟剤を使用してしまっている店が多いと思います。メシヤ様が『段々食べ物がなくなってくる』とおっしゃられたのはこういうことでしょうね。薬剤だらけになるということですね。これが世の大峠だと、それを識別して自分が安全なものだけを食べていくという人だけが健康を維持できるのです。


(質問者)

難しい・・・


(先生)

難しいということは、「やりません」と言っている事になります。


(参加者)

ははは・・・(笑い)


(先生)

だから「十分気を付けてこれから買っていかないといけないね。」というように言わないとね。


(質問者)

他所で出されたら食べなきゃならないこともありますからね。


(先生)

だから今度それが啓蒙活動に繋がるのです。そこでねそれについて論ずるだけで良いのです。


(質問者)

昨日ある店で商品を全部ひっくり返して添加物を確認していましたら、店の人が寄ってきましたので「添加物を見ています」と言いましたら「最近はそういう人多いですよ。このメーカですと、漬物ですと、添加物は入ってます。でもそれ以外では使っていません」とはっきりおしゃってました。


(先生)

そういうお店は信頼できますね。それでは12時過ぎましたので一旦終わりにします。ありがとうございました。


(参加者)

ありがとうございました。





【御教え】霊主体従


「浄霊は科学療法なり」 『栄光』二百四十三号、昭和二十九年一月十三日


以上の如く人間は霊と体との両面から成立っており、霊が主で体が従となっているのであって、これが万有の法則である。そうして病気なるものは体にある保有毒素が霊に移写して曇りとなる、それへ自然浄化作用が発生して曇りが解消すると共に、それが又体に写って毒素は溶解し排除されるので、その苦痛を言うのであって、つまり前者は霊体一致の緯の作用であり、後者は霊主体従の経の作用であるのであって、この理を充分知る事が肝腎である。では一体曇りの本質は何かというと、これこそ無色透明である霊に不透明な部分が発生するそれをいうのであって、これが真の病原であるから、これを払拭すれば病気は治るに決っている。この方法が浄霊であるから、浄霊とは読んで字の如く霊の曇りを浄める手段で、これが真の医術である。従ってこれ以外の療法は悉く非医術である事を知るべきである。以上が病原と治療との根本原理であって、一言にしていえば病気とは外部に現われた症状であり、病原は内部にある曇りである以上、この解消こそ真の治病法である。処がその理を知らないが為医学は現われた症状さえ除けばいいとしているので、仮令効果があってもそれは一時的で、必ず再発するのは医師も常に経験している筈である。



「浄霊と幸福」 天国の福音書 昭和二十九年八月二十五日


右のようにその人の居る段階そのまま通りが運命となるのだから、一段でも上に行くよう心掛けるべきで、上になる程益々苦しい忌わしい事が無くなり、幸福は増すのである。つまり浄化すべき苦痛の必要がなくなるからである。だから人間は霊身が下段にある間は、どんなに智慧を振い、骨を折っても駄目である。というのは、これが神の天則であって、霊主体従の法則も厳として冒す事が出来ないからである。故に、幸福になるにはどうしても霊を浄めて軽くし、少しでも上位になるよう心掛くべきで、それ以外に方法は絶対にないので、茲に浄霊の大いなる意義があるのである。



「幸運の秘訣」  『栄光』二百四十六号、昭和二十九年二月三日


以上の如く霊界の籍通りが体に移り、運命となるとしたら、霊の地位向上こそ幸運の根本である事が余りにも明らかである。何よりも事実を見ても分る通り、世間よく出世をして人から羨まれるようになり、自分もいい気持になって、いつ迄も続くと思っていると、豈(あに)計らんやいつしか失敗転落、元の木阿弥となる例もよくある。というのはこの理を知らず、人力にのみ頼りすぎるからで、然も人を苦しめ、無理をする結果、形だけは成功しても、霊は地獄に堕ちているので、霊主体従の法則によりその通りの運命となるのである。そうして霊にも物質と同様重量があり、重ければ地獄に堕ち、軽ければ天国に上る。昔から罪の重荷というが、その通りで、悪の行為は霊が曇り重くなるに反し、善の行為は軽くなり上へ昇るのである。故に人間は悪を慎み、罪を作らないようにする事で、出来るだけ善を行い、霊を軽くする事こそ幸運の秘訣である。これが真理である以上、これ以外方法のない事は断言するのである。といっても成程理屈は分るが、偖(さ)て実行 となると中々難かしいものである。処が容易に出来る方法がある。これこそ信仰であるから、幸運を得たい人は何をおいても、先ず信仰に入る事である。



「私は宗教科学者だ」  『栄光』二百五十五号、昭和二十九年四月七日


霊の世界を把握しただけでは何にもならない。どうしてもその本質を把握し、人類に役立たせなければならないが、困ることには物の科学では方法があり得ない。どうしても霊には霊を以てするより外はないのである。処が私からいえばその難関も造作なく打破り得る。否已に打破っている。今現に私は実行し、驚くべき成果を上げている事実である。即ち霊を以て霊の問題を解決している。言うまでもなく病気治療がそれであって、今ザット説明してみると、一切の病原は患者の霊に溜積した不純物であるから、それを解消すれば治るに決っている。それは霊主体従の法則によるからである。その方法として霊的原子爆弾ともいうべき特殊の霊を放射し、不純物を焼尽する。この方法が浄霊という高度の科学操作であって、然もこれは医学のみではない、凡ゆる科学でも宗教でも、不可能とされていたものも解決出来るのであるから、これこそ超科学でなくて何であろう。



「人療法と神療法」 年代不詳


宗教は人間に霊があり、其の霊が肉体を支配していると言うのである。従而人間が病気に罹る事も、思想の動向も霊次第であるから、霊が主体で肉が従と言う事になる。此理によって、病気の場合その病原は霊にあり、霊の状態そのままが肉体へ移写するのであるから、病気を根本的に治すには霊から治して行かなければならない。即ち病める個所は霊の方も病気に罹っている。それはその患部は霊に曇りがあるので、その曇りを払拭しなければ肉の方の病気は絶対治る筈はないのである。之は事実が証明している。即ち肉だけの病気を除去しても、霊の曇りを消滅しない限り、必ず元通り病気は発生する。何よりも医学で治ったと安心しても、その殆んどは再発する。腫物など手術によって除去しても其のお隣りへ出来る、又除去すると復(また)その隣りへ出来ると言う事は、医家もよく経験する所であろう。此の理によって医学が如何に進歩しても肉のみを対象とする以上、此の世界から病気を無くする事は不可能である。右の如く万有の原則は霊主体従であり、人間の病気も前述の如くである以上、之が認識出来なければ真の医学が生れる筈がないのである。而も真の健康人が増えれば、罪悪は跡を絶つのは勿論である。 何となれば此の見えざる力を知る以上、神を認めるからである。此の理によって今日の如き底知れない程の社会悪の発生やそれにつれて不幸者が続出すると言う事も、唯物思想の囚となっているからで、茲に宗教の必要がある。



「浄霊の偉効」    昭和二六年一月一五日


抑々、万有は霊と体で成立っている事は、本教信者はよく知っている筈だが、勿論、土も作物も、霊と体から成立っている以上、土が人為肥料によって汚されていれば、土の霊も其通り曇っている。処が一度浄霊するや、土の霊の曇りが減るから、其通り土の方も不純物が減り浄まるのである。従而、清浄になった土は成育力が旺盛になると共に、作物の方も残っている肥毒が減るから、両々相侯って、霊主体従の法則により、成育が旺盛になるのである。之で大体判ったであろう。



「霊主体従」 世界救世教奇蹟集科学への原子爆弾  昭和二八年九月一〇日


そうして現代科学といえば勿論唯物科学であり、唯物科学とは目に見え、手に触るる形あるものを対象として研究し進歩したものであるから、凡ゆる物象の表面だけが或程度判ったに過ぎないのであって、その内面に存在する重要な或物に気付かなかったのである。この或物とは何かというと、これこそ無に等しいもので、名付けて霊という。この霊なるものこそ凡ゆる物象の主体であって、この事の認識が出来ない限り、何程科学が進歩したといっても、それは半分の進歩であり、跛行的でしかない以上、正しい文化の生まれる筈はないのであるから、この事が明らかになって初めて今まで不可解とされていた凡ゆる間題も、容易に解決されるのである。何となれば一切は霊が主で体が従であり、霊主体従が万有の法則であるからである。一例を挙げれば人間が四肢五体を動かすのも、眼に見えざる意志の命によるので、決して五体が勝手に動くのではないと同様である。故に奇蹟と雖も本原は霊に起り、体に移写するのであるから、この理を先ず確認する事である。それには病気が最も分り易いから、これによって説明してみよう。元来病気とは肉体に現われた現象であり、結果であって、勿論本原は霊にある。即ち最初霊の一部又は数個所に曇りが発生し、それが体に映って病気となるのであるから、この曇りさえ払拭すれば治るのは明らかである。この様に病原は霊にある以上、体のみを対象とする医学で治らないのも当然であり、対症療法の名がそれである。これにみても現代医学は全く見当違いである以上、一日も早くこれに目覚めて、再出発されなければならないのである。然もこの無智の結果、如何に多くの犠牲者が作られ、悲惨な運命に泣いている現状は、到底黙止出来ないのである。処が喜ぶべし、茲に神の救いは現われたのである。即ちこの誤れる医学を革正すべき大任を、神は私に委ねられたのみか、この過誤はひとり医学のみではない。凡ゆる文化面に亘っているのであって、今一つの例を挙げてみよう。それは多くの犯罪である。これも病気と同様表面に現われた結果であり、その病原は霊即ち魂にあるに拘らず、それに気がつかない為、これも医学と等しく対症療法即ち刑罰を以て解決しようとしているが、これも一時的膏薬貼りでしかないから、何程骨を折っても犯罪は依然として浜の真砂である。故にこの魂の改造こそ、宗教以外にはあり得ないのであるから、この事も早急に気付かねばならない。以上の如き二大事実によっても明らかな如く原因は霊を無視する処にあるので、これを徹底的に知らせる手段としての奇蹟である。



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