メシヤ講座三重

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質疑応答形式で作成を始めた19年11月度からの「メシヤ講座・三重」を掲載していきます。
個人のプライバシーに関する記述および個人を特定できてしまう記述は編者の独断で省略しておりますので文章につながりがないことがございます。
また、筆記で作成していますので表現上書きとれなかった箇所もございます。 
ご賢察の程お願い申し上げます。

平成22年5月分




メシヤ講座特選集No.111
<メシヤ様対談記・>
明主様(メシヤ様)と法大文学部長・美術評論家 谷川徹三氏との御対談(一)
(栄光二百十一号 昭和28年6月3日)  を拝読

●対談記の内容について

(先生)
一つの美術品について3時間もかけて納得のいくまで撮影をされたというくらいですからね。常人ではできませんね。しかし、これが人間の特性の一部分ですから、子育てをする場合の参考にしていただきたいと思います。特性を見い出し、それを伸ばすために。

それから『新しい時代現象だ』というお話が出てまいりました。 当時の世界救世(メシヤ)教が進めていたことは特徴的に識者からはこのように見られたということですね。ですからこれは非常に大事な点だと思います。 また今までの歴史を通じても画期的なことだと論評されておられるので、我々はそういう画期的なことをおやりになられた教祖を信仰の対象として仰いでいる、と言うことに対して誇りを持って信仰を育んで頂きたいと思います。

その評価に対してメシヤ様は『聖徳太子は仏教を日本にひろめた元祖のようなものですが、仏教芸術を一番の方法として仏教をひろめたのです。』と解説しておられます。そして、世界的にやって行きたいのだということで熱海に美術館を造るというふうに展開してゆく予定でおありでした。最終的には仏教美術の美術館を造ろうと御計画なされたのですけども、こちらは実現しないまま今日を迎えています。

そういうふうに歴史の流れとメシヤ様の御構想と世界救世(メシヤ)教の教団史というのを、3本、頭の中で並べて拝読しておいて頂けると大変有り難く思います。そういう拝読の仕方をしてゆけば、我々の課題とか将来やるべきことが見えてくるのではないかと思います。


●叱られることが最初の入社教育

(先生) 
今朝、テレビでやっていましたが、今企業が新入社員教育で一番困るのが・・ 自主性を育てることを謳った「ゆとり教育」のために、叱られてこなかった青年が多いということです。叱られてない人間は一番使えないと言われます。何故かというと「おまえこれじゃ駄目じゃないか」と叱られると全否定されたように受け止めてしまうそうです。「駄目じゃないか」と言っているときにはその「これじゃ」だけを捉えて言っているのだという認識が子供に備わっていないといけないということです。「おまえ駄目じゃないか」の「おまえ」が自分全部だと捉えてしまうともう動きが取れなくなってしまうのです。ですから叱られる練習を一番先にさせないと駄目なんだそうです。親から叱られて育っていないのでね。
これが新規採用した時の一番の課題だそうです。会社が親変わりになってね。大変な時代になったなあと思います。

(質問者)
私達の入社したころは「叱られてなんぼ」と言われ良く叱られました。が何年かしたころからか新人を叱らなくなりました。「なぜ?」と先輩方に聞くと今の子を叱るとすぐ会社をやめてしまうのだそうです。

(先生)
ですから子供のころに親に叱られておかないと「成長させるために叱ってくれているのだ」という、そういう思いを持たないまま成長してしまっているのでね。それで大人になって叱られると全否定された。人間性まで否定されたと受け止めてしまう子ばかりになってしまうのですね。
まあ来年からはまた詰め込み教育が始まって行くので、これはこれで問題がありますが、結構精神的には鍛えられていくのではないかと思います。今あまりにも学力がなくなっているから仕方ないところですね。

●子宮頚癌について

(先生)
昨日あたりからやたらと子宮頚癌予防の話を報道しているでしょう。で、子宮頸癌はなんで発生するかとあとで付け加えて報道していますね。性交渉によって発生すると。 ということはそちらを教育してゆけば良いわけでね。ろくでもない男と付き合ったらそういうことになるよと。娘にがんがん教えないからいけないのでね。それをね、ワクチン打てば癌にならないとね、堕落を推進するようなそんな報道ですからね。人間性を駄目にしてゆくね。

(質問者)
予防接種させすれば自由だというように言われていますね。

(先生)
そうでしょ。結果的に煽(あお)ったことになっているからね。昔風に言えばふしだらな子供たちが一杯いるのが物凄く問題なのですね。 ですから娘さんを育てる時には様々なことを教え込んで育てて下さい。

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フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』より
概要
ほとんどの子宮頸癌はヒトパピローマウイルス (HPV) の長期間の感染による発症である。以下、特に断りのないかぎり本記事では子宮頸部扁平上皮癌について述べる。

子宮頸癌の最大の特徴は、予防可能な癌であるという点である。これは異形成(子宮頸癌になる前の病変)が発見可能なためであり、定期的な子宮頸癌検診により、異形成の段階で発見・治療することにより癌の発症を未然に防ぐことができる。

病因
子宮頸部扁平上皮癌はヒトパピローマウイルス (HPV) というウイルス感染が原因で引き起こされることがほとんどである。HPV には100以上もの種類があり、 皮膚感染型と粘膜感染型の2種類に大別される。子宮頸癌は粘膜感染型 HPV の中でも高リスク型 HPV と呼ばれている性交渉によって感染する一部の HPV が長期間感染することによって引き起こされる。

HPV は性交渉により感染するウイルスであり、性交経験のある女性では誰でも感染しうる。ほとんどの女性は感染履歴を有すると考えられる。HPV に感染しても多くの場合は、免疫力によって HPV が体内から排除される。HPV 感染の大半は2年以内に自然消失するが、約10%の人では感染が長期化(持続感染化)する。HPVが持続感染化するとその一部で子宮頸部の細胞に異常(異形成)を生じ、さらに平均で10年以上の歳月の後、ごく一部(感染者の1%以下)が異形成から子宮頸癌に進行する。
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●『道楽として布教に取り組む』とは

メシヤ様の御精神を現代に伝える座談会に次の投稿をしました。投稿では御教えを省略いたしましたがここでは掲載しておきます。

三重支部です。
 今回のメシヤ講座特選集に、『道楽として布教に取り組む』というお話がございました。 次の箇所です。

【つまり絶対的な救済力を手にして、『霊主体従の法則』という真理を知った者が歩むべき道を、指導者は自らが範を示して信徒を教導してゆかねばならないにかかわらず、そうした取り組みを怠っているのが現実なのです。そのため浄霊は病気治し(実際は楽になる程度)に終始し、『信仰の奥座敷』へご案内できずにいるのです。また、信徒も御教え拝読不足のために指導者の体たらくを見逃してしまっているのです。

これでは『宗教の進歩』を望むことができず、そのため、布教現場では混乱が生じ、要らぬ苦労を背負わされているのです。信徒が『道楽』として布教できない有様なのです。メシヤ教の信徒は『道楽』として布教に取り組んでいると自負していますが・・以下略 】

この『道楽』とは一般的に世間的には良い意味で使われることはあまりないように思いました。そこで、ネットで調べてみましたら、次のように記載されていました。

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フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』より

道楽(どうらく)とは自分の生活の中に仕事とは別に熱中できる事柄を持ち、それを楽しむこと。 時にはその熱中度が甚だしいがために自分の職業に支障をきたすようになってしまったり生活が自堕落になるものも多く存在しており、そういった者は「道楽者」や「道楽息子」などと呼ばれる。

「趣味」と意味は近いが、「趣味」が比較的上品で、他人に迷惑をかけないものを指す「悪趣味」ということばがあるが、これは「悪い趣味」の意味ではない)のに対し。「道楽」には、「酒道楽」、「女道楽」、「ばくち道楽」など、本人の品位を損ね、自堕落になったり、他人に迷惑をかけたり、家庭環境を破綻させたりするおそれのあるものも含まれる。買い物依存症などの依存症も、現代版の道楽といえよう。
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では、メシヤ様は『道楽』ということをどのように考えておられたのでしょうか。御教えを調べてみました。私が思っていたより『道楽』というお言葉を用いられており、それも良い意味でお使いになられております。良い意味どころか

『私の性格であろう。換言すれば一種の道楽でもある。『栄光』二百五十七号、 昭和二十九年四月二十一日』 とメシヤ様御自身の性格が道楽だとまで仰っておられるのです。

『病人の所に頼まれて行く場合にも、楽しみながら行くときは、きっと治りが良い。だから楽に行けばゆくほど発展する。『御教え集』二九号、昭和二九年一月一五日』

『私の道楽のようなものです。人が喜んで満足しているのを見るのが愉快でたまらない。『御教え集』二一号、昭和二八年五月一五日』

メシヤ教の信徒は『道楽』として布教に取り組んでいる。と楳木先生が言われたことの意味が、このメシヤ様のお気持ちに近づけるよう追体験を目指すことなのだと、ここまで御教えを調べて漸くわからせて頂きました。

【御教え】

○感じの良い人 

『栄光』二百五十七号、昭和二十九年四月二十一日

凡そ感じが良いという言葉程、感じの良い響きを与えるものはあるまい。処がよく考えてみると、処世上これが案外重要である事である。それは個人の運命は固より、社会上至大な関係があるのである。例えば誰しも感じのいい人に接すると、その人も感じが良くなり、次から次へと拡がってゆくとしたら、心地よい社会が出来るのは勿論である。故に忌わしい問題、特に争いは減ると共に犯罪も減るから、精神的天国が生まれる訳である。然もこの事たるや、金は一文も要らず、手数もかからず、その場からでも出来るのであるから、こんな結構な話はあるまい。というと至極簡単に思えるが、事実はそんな旨い訳にはゆかないのは誰も知るであろう。
というのはこれは外形的御体裁では駄目だからで、どうしても心からの誠が沁み出るので、その人の心の持ち方次第である。つまり利他愛の精神が根本である。これに就いて私の事を少しかいてみるが、私は若い頃から自分で言うのも可笑しいが、どこへ行っても人から憎まれたり、恨まれたりする事は余りない。親しまれ慕われる事の方が多いのである。そこでその理由を考えてみるとこれだと思う一事がある。それは何かというと、私は何事でも自分の利益や自分の満足は後廻しにして、人が満足し喜ぶ事にのみ心を置いている。といっても、別段道徳とか信仰上からではなく、自然にそうなる、つまり私の性格であろう。換言すれば一種の道楽でもある。そんな訳で得な性分だとよく人から言われたものだが、全くそうかも知れない。然も宗教家になってから一層増したのは勿論である。そこで人が病気で苦しんでいるのを見ると、居ても立ってもおれない気がして、どうしても治してやりたいと思い、浄霊をしてやると、治って喜ぶそれをみると、それが私に写って嬉しくなる。それが為以前は随分問題を起し苦しんだものである。というのはもう駄目だと思ったら早く手を引けばよかったものを、本人や家族の者に槌られるので、つい利害を忘れて夢中になり、遠い所を何回も行って、暇をつぶし、金を使い、その揚句不結果になって失望させ、恨まれたり、愚痴られたりした事もよくあったもので、その度毎に俺はもっと薄情にならなければいけないと、自分で自分を責めたものである。
この私の性格が地上天国や美術館を造る援けともなったのであるから、こういう性格を神が与えたものであろう。例えば、結構な美術品や絶佳な風景を見ると、自分一人楽しむのは張合もないし、気も咎めるので、一人でも多くの人に見せ、楽しませたいと思う心が湧いて来る。という工合で、私は自分だけでなく、人に楽しませ喜ぶのを、自分も楽しみ喜ぶという事が一番満足なのである。


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(註)御講話抜粋の表題は私が勝手に付けました。

○道楽の如く、「遊行観音」の如く

『御教え集』二九号、昭和二九年一月一五日

どっちかというと、私は遊びながら仕事をしているようなものです。苦しみながらしている気はしないのです。道楽みたいなものです。観音様の中に「遊行観音」というのがありますが、ちょうどそういうようなものです。それで、そういうようにやっているとうまく行くのです。それでいろいろ苦しんだり、気がいかないことをやっているとうまくゆかないのです。この点がいままでの世の中の人と反対です。これは信者の人でも同じわけです。だからいやいややったり、苦しんでやったりしたときにはロクなことはないです。病人の所に頼まれて行く場合にも、楽しみながら行くときは、きっと治りが良いし、治るから行くわけで、またそうだから良いわけです。
だから楽に行けばゆくほど発展するのです。ここがいままでの世の中と違うわけです。ところがどうも人間という奴はいろんな癖がついて、どうも苦しむのを平気で、それをあたりまえのように思っているのです。私も始終そういうことがありますが、どうも思うようにゆかない、うまくゆかないというときには、「オレは苦しんでやっていた」ということに気がつくのです。それでそれをほうり出して、他のことをやるということがあります。


○修行のためでない、生活のためだから、私の道楽のようなもの

『御教え集』二一号、昭和二八年五月一五日

私は忙しく自分の仕事をしてますが、それで家内やほかの者が遊んだりしてますが、よく世の中の亭主は、自分が働いているときに女房子供が遊んだりしていると、それがシャクに障って叱ったりしますが、私はそういうことはぜんぜん、わざとやらないどころか、そういう気はないのです。私はむしろ、自分がいくら骨を折っても、ほかの者が気持ち良く愉快に遊ぶばかりでなく、いろんなそういう生活をしていると、非常に気持ちが良いのです。ですから自分がいくら忙しくても苦しくても、別になんとも思いません。これは私は別に修行のためにそうするのではないので、そういう生活のためなのですから、私の道楽のようなものです。人が喜んで満足しているのを見るのが愉快でたまらないので、そういうようにやっているのです。


○驚かせるのが道楽みたいなもの、外国人を驚かしたい。

『御教え集』七号、昭和二七年三月二〇日
その次には、あの五倍くらいの山を作るつもりです。で、桜を千本くらい植えて。本当の一目千本です。奈良の一目千本は一目でなく、いくつ目ででも見なければならないが、こっちのは本当の一目千本です。これができたらずいぶん驚きますがね。なんだか驚かせるのが道楽みたいなものだが……私は日本人よりも、外国人を驚かしたいですね。外国人が、そのために日本に観光に来るというようにしたいと思っている。


○木を切って形を良くするのが一種の道楽

『御教え集』二〇号、昭和二八年四月一五日

大自然に対する草や木ですが、これがおもしろいのは、私は木の枝を切ったりして形を良くするが、それが一種の道楽なのです。それでよく切り過ぎたと思うことがありますし、それから植える場所によっては(木には裏表があるのですが)、表が出せないときには裏を出すとか横を出すのですが、それは具合が悪いのです。そうすると木のほうで形を調えて良い形になるのです

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(質問者)
道楽ということについて私も考えてみました。「道」を楽しむという考えもあるのではないでしょうか。どういうふうにしたら楽しんで行けるのかとメシヤ様は何か御教え下さっているのではと思いました。すると、急所を見つけるには智慧証覚が伴わなければならないという御教えに辿りつきました。まだまだ研鑚中です。

(先生)
前の教団の入信教修の時に「霊主体従」ということを学んだと思います。「霊主体従の法則」に基づいてどういう生活をして行ったら良いのかということを月次祭とか感謝祭で教師が話して行かなければいけないのです。ですが、どうしても「こういうことに取り組んでいます」とかいう活動面が中心になってしまっていますね。 御教えに基づいてどうしたら幸せになって行くかという話になっていかないのです。

それではいけないと言う事の事例として金銭の問題を書いたわけです。 それで幸せになって行くためにはすぐ取り組まなければいけないことと、それからその人がどうしても抱えてしまう精神的な癖ということ。だから中期的に考えていくことと長期的に考えていくことの3つぐらいのことを解説して貰わないと、何に取り組んで行くと良いのかということが分かりづらいということですね。

例えばゴルフは正確なスイングをしても、1ミリグリップがずれてスイングすると100ヤード飛んだときにね1mくらいずれるのです。それと同じで、問題は最初の違いが時間が立つと大きなズレとなり、それが問題となるのです。ですから問題というのは遡って行って最初の勘違いや判断ミスを修正しなくてはならないのです。それを御教えに基づいて整理して指摘して上げて幸福に導く役割が教師なのです。


●水耕栽培と土耕栽培の違い

(先生)
足どうしたの

(質問者)
足がつってしまって・・・

(先生)
血液が酸性化しているのですね。アルカリ性のものを摂って行かないとね。

(先生)
ところで、先ほど出ていた水耕栽培のことですが、水耕栽培の本当の問題点として考えられることは何でしょう。 水耕栽培と土で育てる違いです。何が足りないのでしょう。 土と水との差という事で言うとね、足がつったと言うときに「痛い」というのが神経を伝わってくるでしょう。 何を伝わってくるのですか。

(質問者)
微生物、電気?

(先生)
電気はどうやってくるの?

(参加者複数)
水分? 赤血球白血球? タンパク質? 細胞?????

(先生)
これはもう、最新の科学なのです。
大体水耕栽培と土の栽培の違いを言っているのですよ。

(質問者)
マグネシウムですか?

(先生)
マグネシウムの総体は何か?

(参加者)
鉄分? ミネラル?

(先生)
ミネラルはもっと大きい存在になります。 鉱物です。鉱物が土にしかない。水の中には鉱物は無いのです。ですから神経の働きを維持するためには、土から出来たものを食べないと駄目なのです。 鉱物が体の中に入ってきて神経の中を形成して、その鉱物の中を電気がピピピっと伝わっていくのです。 そういうことが今科学的にわかってきているのです。

(質問者)
土で出来た野菜を食べると体に鉱物が取り込まれその鉱物を通じて電気が伝わると・・ 水耕栽培だとその鉱物が取り込まれないから神経の働きが弱くなるということですか。

(先生)
そういう解釈です。で、水耕栽培で鉱物を入れても沈澱してしまうでしょう。根がそこまでつかないと。それをミネラルが入って行かないと言っています。ミネラルの中の鉱物が入って行かないという問題点が指摘されているということです。


●識る喜び、話す喜び、面白くてしようがない布教

どうです。道楽と言う事から言うとね、物事を識る、識る時の喜びってすごいでしょう。 わからなかったことを発見できた時の喜びね。
そういう知識を皆に話すと喜ばれる、その喜んでいる姿を見るのがメシヤ様が堪らなく嬉しかったのだと・・。それを道楽だとおしゃっておられます。M口さんがメールして下さった御教えの『人が喜んで満足しているのを見るのが愉快でたまらない。』という箇所ですね。
ですから私達もそのようにね。今度は「御教え」と「浄霊」に取り組んでいってその相手が問題解決出来たり幸せになって行く姿が嬉しくてしようがないから我々はついつい布教に取り組んでいってしまうのです。そういう境地ですね。

世界救世(メシヤ)教が一番発展した時には「御垂示録」「御教え集」をみな貪るように読んだのです。するとメシヤ様の御説きになられた真理ということがガンガン入ってくるので、 今まで知らなかったことをどんどん知るので、人に話したくてしようがない。 私が感動的だったのは高知県の田舎のおばあちゃんですね。農業しかやっていないのだけども物凄くお導きをしているおばあちゃんがいたのです。昭和28年に入信した人で御教えを読んでいると面白くて仕方がないので皆にしゃべっていく。それで「○○さん、どんなことですろう?」と聞くと、「おんしゃ、そげんことも知らんがかや」と言いながら浄霊をして行ったそうです。するとたちどころに腰が治ったりね、それで支部へご案内してね。そういうふうに大勢お導きしたのですよ。と言っておられました。正に面白くてしようがないという布教だったようです。


●太陽の種は11年目に拡がる

メシヤ様の御精神を現代に伝える座談会に次の投稿をしました。

三重支部です。

太陽の黒点情報がSWC宇宙天気情報センターのホームページに掲載されています。 先月の4月29日がゼロでそれから徐々に増え始め、なんと、6日後のメシヤ教本部御神体御奉斎11周年を迎えた5月5日にピークを迎えているのです。 そしてその数が77です。
ここでも5(5月5日)、6(6日後)、7(黒点数)と567の数字が出ていますね。

観測値(黒点、F10.7)
最近10日間の観測値
年月日(UT)          黒点数       F10.7

2010年04月28日       12             76
2010年04月28日        12              76
2010年04月29日              0                         76
2010年04月30日             12                        79
2010年05月01日             13                        78
2010年05月02日             47                        80
2010年05月03日              61                       80
2010年05月04日       70           82
2010年05月05日       77                       83
2010年05月06日       45                       79
2010年05月07日       24                       79
2010年05月08日       23                      79
2010年05月09日       0                       75
2010年05月10日       0                       74
2010年05月11日       0                       74
2010年05月12日       0                       71
2010年05月13日       0                       69

F10.7とは10.7cm(2.8GHz周波数)の波長での太陽からの電波放出の流量だそうです。この流量は、1947年以降測定されているそうです。

太陽表面に観測される黒点の数は約 11 年の周期で増減し、黒点の数が多いときには太陽活動も激しくなるそうです。
現在は太陽周期の極小期だそうです。ですから黒点の数が0になる日も多いのでしょうが、極小期にあって5月5日にピークが来ているということと、11年周期ということと、主之大御神様の最初の御神体御奉斎のメシヤ教本部御神体御奉斎11周年と附合するので、驚きました。
『主の型です。ヽです。このチョンがだんだん拡がって行くのです。』
『ポチのまたポチというような、ちょうど太陽で言えば黒点のようなもので、太陽の黒点というのは太陽の種みたいなものですが、あれが一一年目に拡がるので、見えるのです。』

「主之大御神守り給へ幸倍給へ」とお祈りする家庭が拡がる型であると受け止めさせて頂きました。

【御教え】
『御教え集』一四号、昭和ニ七年一〇月一五日

九月二五日

神様のおやりになることは、すべて型でやっているのです。 主の型です。ヽです。このチョンがだんだん拡がって行くのです。 世界に、戦争だとか思想問題とか、いろんな変わり事がありますが、あれはいきなりそういうことが起こってくるのではないのです。地球の中心・・・世界の中心に最初なにかができるのです。なにかといって・・・ちょうど、植物なら種です。それが拡がっていくのです。絶えずそういう具合になって、世界というものは変化して行くのです。
では、そのポチですが、ポチのまたポチというような、ちょうど太陽で言えば黒点のようなもので、太陽の黒点というのは太陽の種みたいなものですが、あれが一一年目に拡がるので、見えるのです。それがまたこう(狭く)なる。そういった周期的にいっているものです。あれが太陽の中心で、それが太陽全体を、あれだけの火の力を活動させている中心です。そういうような具合で世界にも中心があるのです。で、中心というものは、いままで神様は人間に知らせなかったのです。それが時節が来て、その中心が知れるようになったのです。知れるようになったと言ったところで、いまのところ中心が分かるのは私だけなのですが、いずれは世界中に分かるようになるのです。そうしてその中心は、この箱根の神山になるのです。これが世界の中心になるのです。いままで隠されていたわけです。ちょうど、夜の世界で、闇ですから見えない・・・まあ見せなかったわけです。そこで神山のあんな高い所ではしようがないから、その麓の強羅が中心になっているわけです。ですから、この中心に神仙郷ができたということは、もう世界中が神仙郷になるような時代が来ます。それが地上天国なのです。そうすると地上天国の模型がだんだん拡がっていくわけです。拡がっていくについては、これをこしらえるにはどうしても藪やでこぼこで石がそこここに転がって、見る影もない汚らしさだった。それをだんだん石を割ったり、よけいな木や草を切って、そうしてきれいにしてしまったのです。こういう形に世界がなっていくのです。そうすると、世界には雑草もあるし、邪魔な木もあるし、割らなければならない岩もありますから、その大清潔法・・・大掃除が始まるわけです。で、つまり地上天国の模型が拡がるのと、掃除するのが一緒になっているのです。掃除ができただけずつは、いろいろな家をこしらえたり、庭の形を作ったりしてやっているのです。最後には、美術館なんていうきれいな美しいものができるということになる。ですから神仙郷ができたということは、とにかく地上天国がもうできたのです。霊界ではドンドン拡がりつつあるのです。それがいまに現界に写っていくのです。そこでいわゆる破壊と創造が実現するということになる。だから第三次戦争もあるでしょうし、それから病気が非常にはやって、バタバタ人間が死ぬということも出てくるでしょう。で、それがメシヤ教によって救われるのです。
救われるといっても、みんな救われるわけではない。讐えてみれば、この中で残った木は、立派に手入れをして眺めるようになりますが、かえって邪魔な汚い木は伐ってしまいます。そういう木としての犠牲ですが、そういうことも現われるのです。あるいは伐られる木のほうが多いかもしれない。で、神仙郷のことはそれくらいにしておいて。(以下略)

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●私達は最高の御神名を唱えている

(先生)
5月5日がピークだということは、主之大御神様のことを強く認識しなければいけないと受け止めました。それからまたゼロになっているとね。もっともっと深く考えないといけないね。

離脱教団の方々も御神体ということに関してはいろいろ模索しています。御尊影を御神体にということが一番受け入れられやすいとの考え方が多いようです。が、一方海外布教ということを考えるとどうしても国王、教皇が上位でないと受け入れられない国があります。すると、メシヤ様の御尊影を下位にしてどうなのだということになりますが、メシヤ様の御精神からいくと結果として浄霊をする人が増え救われる人が増えたわけですから良かったのかもしれません。御尊影を御神体にというと、そうした問題があります。

私もある方から初めて聞いたのですがアメリカ布教をされた樋口先生は天津祝詞を奏上したあと「天にましますわれらが父よ」という言霊を響かせて皆を集めていたそうです。ですからユダヤ教の人もキリスト教の人もその頃どんどん入ってきたそうです。

相当布教している人間が御教えに求めてどういう形でこの国を救っていくかということをしっかり考えて行かないと、その積み重ねをずーっとして行かなければいけないなということをね。強く感じさせて頂きました。

皆様方が月次祭で「主之大御神守り給え幸倍給え」と唱えていることというのは最高の御神名を唱えているわけですから素晴らしいことなのです。

(質問者)
樋口先生は、「天にましますわれらが父よ」と唱える時、主神様を意識されておられたのでしょうか。

(先生)
それは、「文明の創造」を御読みになって布教されていたでしょうから、「天の父エホバ直接の啓示」だとその通りのことをイメージしておられたのではないでしょう。
とするとその当時の布教と今迄布教所でやってきたことと全く違うと言う事になってしまいますね。だって、今まで「天の父エホバ直接の啓示」だと思って御教えを拝読してこなかったでしょう。

(質問者)
「文明の創造」自体皆さん読んでませんからね。

(先生)
だけど教義があるでしょう。「天国の礎」にも出ているのですよ。

(質問者)
ああ、そうですね。掲載されていますね。ですが、教義について話し合ったとかいう事はなかったと思います。


●浄霊は神様の愛

(質問者)
○○ですが、耳鳴りが酷くてやはり何かハッキリと見せさせて頂けないとなかなかわからないようで・・・

(先生)
ご家族ですから、肩全体を良く揉みほぐして、そしてその固まりを押さえつつ御浄霊して下さい。もちろん耳下腺の凝りの塊も探してそこを浄霊する。首の凝りが取れないまま治療してゆくとね。神経に影響をあたえるのでね。

(質問者)
何でもしっかりこなそうとするので・・・

(先生)
それはね。少しもう仕事を減らしていかないといけないね。自覚してゆかないとね。お風呂に半身浴で30分から1時間はいると首肩の血行が良くなるので、それから首肩揉んでね、そして浄霊をする。
○○さんは浄霊してあげないの?浄霊は神様の愛だからね。そこに愛はあるの?と聞いてあげてごらん。(笑い) そういった別の切り口からもね。アプローチしてみたら?

(質問者)
いやあ、そんなこと言えないなあ。

(先生)
これまでの流れがありますが、この際天国化を目指して変えて行って下さい。
挑戦することが大事ですよ。

以上


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