メシヤ講座・三重

質疑応答形式で作成を始めた19年11月度からの「メシヤ講座・三重」を掲載していきます。
個人のプライバシーに関する記述および個人を特定できてしまう記述は編者の独断で省略しておりますので文章につながりがないことがございます。
また、筆記で作成していますので表現上書きとれなかった箇所もございます。 
ご賢察の程お願い申し上げます。

平成21年10月度


メシヤ講座特選集No.104

<メシヤ様対談記・13>
明主様(メシヤ様)と文学
メシヤ教の目標は最高の文化=或る文士と御対談の中より=
(栄百八十三号 昭和27年11月19日)を拝読

(先生)
このH氏はメシヤ様に
「どんな修行をなされたのですか?」
ともう少し突っ込んで質問して頂きたかったですね。
実際は、編集者の方が削除したのかもしれませんが・・。
今回も、素晴らしいことをお話しされておられます。
それは、
「宗教は最高の科学です。目に見えない科学です。
一般のは目に見える科学です。」というところを
今回深く心に留めておいて頂きたいと思います。
そういう風に考えて行くと、私達の信仰の全体像が
出来上がってきます。
今回のメシヤ様の対談の中の「宗教とは何か」
ということをお話しされていることが、
生活のライフスタイルのようなものになって
こなければなりません。
で、多くの方が「浄霊は浄霊」「御教えは御教え」
「生活は生活」「社会で起きていることは社会で
起きていること」などと捉えています。
しかし、
メシヤ様のお考えは宗教は最高の科学であると。
目に見えない科学なんだと。
現在の科学は目に見える科学なんだと。
そうすると総体的に社会に起きていることは宗教の
いわゆる最高の科学の一部なんだという概念を
もってもらわないと、本来のあり方になって
行かないのです。
信仰の向上というと参拝の回数とか、
献金の額だとかそういうようなことになって
しまいます。信仰の向上にはこの
「今起きていることは宗教の一部だ」という概念が
広がって、そして、それをどのように捉えて、
解釈して、自らの在り方を確立させて行くことが
大切なのです。

(質問者)
宗教が今まで科学に言及したことはなかったように
思います。

(先生)
そこを信者がわかっていないのが問題なのです。
問題というより大事件です。
それは指導者の勉強不足なのです。
しかし、このようにメシヤ講座で改めて対談記を
読み直すことができて、そうして気付かせて
いただけることは素晴らしいことです。

【関連御教え】

それから私は、信仰に関してどこまでも深く究(きわ)
めなければならない、という覚悟を以(もっ)て
大本教に関する書籍、特にお筆先は繰返し、
繰返し熟読したものである。
尤も大本教に於(おい)てもお筆先を唯一の聖典
として、拝読を奨励したからでもある。
処がお筆先というものは、身魂相応にとれるといい、
判りそうでなかなか判らない。
それを判ろうとする努力、つまり神秘を暴こうとする
意欲から熱が出るのである。
茲(ここ)で神秘に就(つい)て少しかいてみるが、
人間の意欲の中で、此(この)神秘を探りあてよう
とする事程魅力あるものはあるまい。
信仰に熱が増すのは神秘探究心からである。
従而(したがって)昔から神秘の多い宗教程発展
するのである。
尤(もっと)も神秘の表現化が奇蹟であるから、
神秘と奇蹟とは切っても切れない関係にある。
本教の異常の発展も之が為であると共に、
既成宗教不振の原因も是(ここ)にあるのである。
面白い事には宗教と恋愛と相通ずるものがある。
宗教の神秘に憧がるる点と、恋人に憧がるる点とが
よく似ている。従而信仰の極致は神への恋愛である。
此点恋愛と異う処は、誰かが言ったように、
恋愛は結婚が終極点であるとの通り、
結婚が成立すると大抵は魅力の大半を失うものである。
処が神への恋愛は、其(その)点大いに異(ちが)う。
というのは、一つの神秘を暴けば、次の神秘を求める、
知れば知る程愈(いよい)よその奥を究めようとする、
そこに信仰の妙味があるのである。
以上のような意味で、その頃の意欲は、
神秘を探るには神人合一の境地に到らなければ
ならないと思って、大本教が応用した古代に
行われた鎮魂帰神法(ちんこんきしんほう)という
一種の修行法があり、仏教の禅とよく似ている。
それによって身魂を磨こうと一生懸命したものである。
それと共に、自己ばかりではない、他人に向って
之は帰神を抜いた鎮魂のみの法がある、
処(ところ)が実際は他人に向う場合、
鎮魂ではなく浮魂である。
鎮めるのではなく浮かせるのである、
浮かせて口を切らせる、それは憑霊に喋舌 (しゃべ)
らせる事であって、一時は随分喋舌らしたものである。
それによって 霊界の実相と憑霊現象を知りたい
からである。之は『霊界叢談』の著書に出ているから
参照されたいが、此方法も霊界を知る為には、
幾分の効果はあるが、弊害も亦(また)少くないので、
初心者は触れないように私は注意している。
( 光への道 
『自観叢書』第九篇、昭和二十四年十二月三十日)


霊憑りというのは、私は始終注意していますが、
最初は非常に興味があるものでね。
私なんかも最初はずいぷんやりましたがね。
結局、これは弊害があるんですね。
私は霊憑りをやって懲りたことがある。
それから、やらなくなった。
それは、ある青年ですが……
大本時代ですが、その男は……店に使っていた……
その時分は商人でしたから、
店で使っていた店員なんです。
それが、大本教で熱心になり、
それで……大本教は
鎮魂帰神といって、こういう格好で、
指の先から霊を出す。浄霊と同じ意味ですがね。
それをやっているうちに、
いろんな霊が憑(かか)るようになった。
憑るとおもしろいからずいぶんやった。
そのうちに、とうとう精神病になって、
鉄道線路に行って榛(ひ)かれて死んじゃった。
それで、私は神懸りというのは、危険なものだ。
すべきでない、と。それで、私は止めちゃった。
そういうことが、あと一、二件……頭のおかしく
なったのがありましたが、それは治りましたがね。
そんなわけだから、霊憑りというのは、
よほど危険なものですね。
ところが良い場合もある。
それで私は、霊的研究をだんだんしていくうちに、
良い……悪い、いろんなことが解ってきましたから、
それで、良いのと悪いのとの区別が判るような
知識ですね。霊的知識………それを得られれば、
そう危険はないんですが、それまでにはそうとうな
修行と経験がいるんですよ。
ですから、一般には非常に難しいのと、
それから霊界が昔と違ってきているので、
いまはそんなことを しなくても、
人を救うことができるんですから、
ぜんぜん霊憑りに触れないで、
霊憑りはいけないものだと、
決めてやるのが一番安全であるとともに、
霊憑りに触れる人はやっぱり発展しないんです。
神様が嫌うんです。
だから、霊憑りに重きを置かない人は
発展するんですね。本当のやり方です。
この間も書いた通り、バラモンから出たもの
ですからね。
現在、西洋で霊憑りを使ってやりますが、
これは科学的なものだからたいしたことはないが、
日本の行者とか、日蓮宗とか、精神病が出るんですね。
本当のものじゃないからね。
そういう意味を精しく書いて、新聞か雑誌に出そうと
思っているが、これは、いまの神懸りに対する
根本的のことと、それからだいたい知っておくべき
だけのことを書いてありますからね。
(『御教え集』四号、昭和二六年十二月十五日)


(質問者)
今回のメシヤ講座特選集では「電子の浄霊」
ということに新たに焦点をあてられたのですね。

(先生)
御教えの編纂などに携わって頂いていると
浄化の御守護を頂くことが顕著なのです。
また、何人かの霊能者の話では、
メシヤ教のホームページにアップされている
「メシヤ様の御手」から光が出ているのが
見えるというのです。
そして「ここへ行けば力が頂けると思い連絡しました。」
というお話をされるのです。
そうしたことを重ね合わせるともうこれは
「電子の浄霊」ではないかと思ったわけです。

(質問者)
今回御教えの編纂の御用を頂き取り組ませて頂く中、
私も目の浄化を頂きました。左目が充血し腫れて蜂蜜
のようなねっとりとした涙が多量に出ました。
日枝神社に参拝する予定があり困ったなあ。
と思いましたが、2日間ですっかり良くして頂きました。
私の場合、印刷物のチェックですので
「電子の浄霊」ではなく「活字の浄霊」です。

(先生)
前にもお話ししたことがありましたが、
中学二年生になった春に私も「天国の礎」の分冊版を
30分間毎日拝読すると決めたのですが、
最初は1ページも読めずに眠くなってしまって
いました。
それでも30分間は本を開いて座っていました。
30分すると目が覚めるのです。
出生後病弱だったので
4歳までは解熱剤をはじめとする薬を投与され、
そのために薬毒が頭に集溜していたのだと思います。
御教え拝読を続けることにより目から毒素(膿)が排出
されて朝起きると顔を洗うまで目が開けなかったくらい
多量に膿がでたのです。

(質問者)
頭の毒素は目から出るのですか?

(先生)
解熱剤とかの毒素は延髄近辺に溜まりますので
目から出すのが早いのでしょうか。
薬毒の排泄により頭痛持ちも改善されました。

(質問者)
台風18号による荒波の影響で、伊勢市二見町沿岸の
夫婦岩の大しめ縄5本がすべて切れたそうです。
9月5日にしめかえたばかりだったそうです。

(質問者)
台風18号ということでミロクの数を冠する台風が
日本列島を大掃除したことになりますね。
そして知多半島に上陸する直前に注連縄を
切っていったことになります。

(先生)
伊勢神宮の大木も参道に倒れ参拝ができなくなった
そうです。神秘を感じますね。

御神前に掲額の「浄チョン」のメシヤ様の直筆御書を見て
(質問者)
今まで気付きませんでしたが、
この御書は素晴らしいですね。

(参加者)
以前からありましたよ。昔の御守です。

(質問者)
こういうお文字の御守りもあったのですか。
なぜ光を強く感じるのでしょうか。

(先生)
それはね。
メシヤ様の『可能な限り全人類を救う』という
御悲願が込められているからですよ。
人を救う人をつくるために書かれた御書ですからね。

(質問者)
ブログ「日月地」で波動の話をされておられました。

【波動を研究している人達にとっては、
「ありがとう」という波動と「感謝」という波動
を測定した時、やはり「感謝」の波動の方が上
との事なのです。】の箇所です。
そこで、なぜ「感謝」の波動が「ありがとう」
の波動より上になるのか言葉の意味を考えてみますと、

「ありがとう」
― 日本語で感謝の時に使われる挨拶。
形容詞「有り難い」の連用形、感謝の気持ちを表す言葉。
感動詞的にも用いる。

「感謝」
― 「謝」は悪かったと思って相手に許しを願う。
わびる。と辞書にあり、
「感謝」は― ありがたさを感じて謝意を表すること。
とあります。
ですから「ありがたさを感じてお詫び申し上げる」
ことになります。

この『お詫び』ということが言葉の意味に入るのか
入らないのかが重要なことではないかと思いました。
三千年前に厳正な神様を押し込めたこと。
メシヤ様の御教えを封じ込め、今なお 「メシヤ様」と
お呼び申し上げない教団がほとんどであること。
を思います時、 信仰はメシヤ様に心より罪を
「お詫び」申し上げ「赦しをこう」ことから
始まるように思われます。
『メシヤ様は罪の赦し主であり、救世主は罪を
赦しに現われる』
(観音講座 昭和十年八月五日発行)
のですから。
そのような意味も考えますと、「ありがとう」という
波動より「感謝」の波動の 方が上なのは理解できる
ように思いました。

(先生)
そうですね。
概ね研究者も同じように考えているようです。
ただし、「三千年前に厳正な神様を押し込めたこと」
までには考えは及んでいませんがね。

(質問者)
波動ということですが、良い言葉を水に転写させて
氷らせて結晶を測定するときれいな結晶に
なるそうです。
反対に「馬鹿」とかいった悪い言葉ですと
崩れた結晶になるそうです。
もう、言霊を測定できる時代になっている
と言えますね。参考資料

(先生)
水は科学記号でH2Oとあらわします。
水素原子二つと酸素原子一つからなる分子で
できています。
この結合の中心の角度は104.5度だそうです。
汚れた水はこの角度がわずかに崩れている
のだそうです。

(質問者)
すると104.5度の角度で固定できる装置が
できれば良いですね。

(先生)
もうそういう浄水器があるのですよ。
ですが高額なのでお勧めしていません。
それより山のきれいな湧水を汲んできた方が良いですね。

(質問者)
家族が浄化しています。頭、足、腕に膿が出ています。
私も手を浄化しています。
庭に毛虫がたくさんいるのですが、関係ありますか?

(先生)
その症状は関係ないですね。
毒素を排泄して頂いているのだと考えて下さい。

(質問者)
毛虫は放っておいたら良いのですか?

(先生)
毛虫は駆除してください。刺されますから。
たとえ原因が毛虫であってもそれは毛虫によって
浄化が誘発されたのだと考えて下さい。
毒素を排泄するだけの力が体にできてきたので、
毛虫が来て毒素排泄を誘発してくれたのだ。
と受け止めて下さい。
毒素排泄を止めてしまうと意地の悪い子に
なってしまいます。


全部出し切ってしまうと明るく清らかな子に
なりますよ。
小学校を卒業するころまでには出しきってしまって
ください。

昔は体毒も髪の毛が全部抜けてしまうくらい出た
ものです。もちろん親にすれば心配ですが排泄する
力が出てきたのだと考えて下さい。

この子は、出る毒素を体内に持ってはいたが
アトピー性皮膚炎ではでなかったのです。
アトピー性皮膚炎は大方小腸に問題があるのです。
昔は回虫という虫がいて毒素を食べてくれたから
アトピー性皮膚炎にはならなかったのです。

(質問者)
虱(しらみ)はどうなのですか?

(先生)
虱(しらみ)がわくのは幼稚園から
小学校の頃までですね。
家族に一人でも御風呂嫌いな子がいれば
虱(しらみ)がわくことがあります。
これも毒素を食べてくれるのだと考えて下さい。

(質問者)
右足の下に出来物ができました。
外反母趾ではありません。
脂肪でもないそうです。湿疹も出ています。

(先生)
疎頸部と足の患部を良く浄霊してください。
そして、湿疹が出ているのでしたら肝臓の働きが
悪いので、肝臓を良く浄霊してください。

(先生)
子供を産んで七十五日間は浄霊をしてはいけない。
という話は聞きましたか?

(質問者)
はい。聞きました。

(先生)
なぜだと思いますか?

(質問者)
なぜでしょう?

(先生)
浄霊するには集中力が必要なのです。
光が体を貫いて体の向こう側に届くような想念で
浄霊するのです。
しかし力は抜かなければならないのです。
一ケ月は悪露が出るから浄霊をしてはいけない
ということではないのです。 それは参拝の話です。
集中力が必要ですから浄霊は神経を使うのです。

(質問者)
力を抜くというのは難しいですね。

(先生)
浄化をしている人を通して修業をしてください。
話をしながら浄霊すると集中力が途切れます。
私達は達人ではないのですから 聖徳太子のように
一度にいくつものことはできません。
まずは手の感覚を身に付けて下さい。
目標を後ろへ持つのです。
浄霊をしているときに他のことを思わないように
してください。

(質問者)
肩に力が入ってしまうのですが・・

(先生)
肩に力が入るのは姿勢が悪いのです。
最初のうちは寝ている病人や子供を浄霊するときに
疲れてきたら肘を固定して浄霊すると力が抜けますよ。
試してみてください。
熟練してくればどれだけ浄霊していても
疲れなくなります。
達人になると手が浮くようになりますよ。

(質問者)
掌にピリピリ感じるのですが・・

(先生)
女性に多いのですがそれは水の系統なのです。
感じた方が浄化している箇所がわかりやすくて便利
なのですが、それに頼ってしまって
御教えを読まなくなってはいけません。
とすると、感じない人の方が御教えを勉強して
御教えに基づいて浄霊をするといえます。
毒素の溶ける経路ということを学ぶことが大切です。

(質問者)
水の系統というと・・・

(先生)
水の洗霊といって水で洗うときれいになりますが
水は汚れてしまうでしょう。
その汚れる現象をピリピリと感ずるのです。
火の洗霊は火は焼き尽くすので燃えてしまうのです。
汚いものは残りません。
感じる人はそれを活用すればよいのです。
ピリピリ来る感覚がなくなるまでその箇所を浄霊
すればよいのです。
また、浄霊して良くなるとそこで止めてしまう
人がいますが、良くなった後も良く浄めてください。
そして同じように苦しんでいる人にぜひ浄霊を
取り次いで下さい。


【御教え】

(問い)
自分のまわりの者、たとえば親子、兄弟、知人という
自分に関連のある人が罪のために悩んでいる場合に、
神様にお詫びして、その罪をつぐなわせていただくと
いうことは、お願いできるものでございましょうか。

(御垂示)
できますが、本当ではありません。
それは他の宗教はそれでよいが、
救世教はちょっと違います。
そういう贖罪的のことはありません。
ですからある場合に、 それはないことはないが、
だいたいはないとみてよいのです。
つまり贖罪をしたら人を救えないのです。
それが三人や五人ならよいですが、
一人で百人も二百人もの贖罪をしていては、
その人は活動ができません。
だからキリストのように全人類の贖罪をしたために
命がなくなったのです。
これは月の神様の系統は贖罪をするのですが、
私のほうは火の系統の神様ですから贖罪はないのです。
月のほうは洗うのですから、
ちょうど洗濯の水が汚れるようなものです。
ところが火のほうは焼いてしまう
のですから、むしろ灰が出るのです。
かえって火力が強くなるのです。
『御垂示録』二三号、昭和ニ八年八月一五日

(質問者)
私の浄霊では何ともならないのでは。
とついつい引いてしまいます。

(先生)
そのように思うことは尊いことですが、
勿体ないのです。
私は初心者だから結果はわかりませんが。
と、前置きしてから浄霊させて頂けばよいのです。
そして相手が気が向くようであれば支部へ案内して
あげればよいのです。
思っているだけでは何もできません。
口に出して行動するようにしましょう。
メシヤ様にお任せしているのですから。
浄霊で私の子供はこんなに御蔭をいただきました。
ですから私に勉強させて下さいという気持ちで
声をかけて下さい。
皆、誰でも最初は構えているものです。
やってみないと相手の魂の輝く部分がわかりません。
楽しんでやっていただきたいと思います。
飲み屋でも布教することはできるのですよ。
相手の話をよく聞いてあげることです。

自信がない方が良いですね。
しかし、それは却って良いのです。
自信があると、自分がやっていると勘違いしてしまい、
困るのです。

(質問者)
恐い話をしていると余計恐くなるのですが。

(先生)
あれは話をしているうちに本当に
霊が寄ってくるのですよ。
ざわざわと肩などに感じるときはそうなのです。

(質問者)
そんな時はどうしたらよいのですか。

(先生)
話をやめたらよいのです。
学問を学び始めると霊は見えなくなります。
見えないと思いこまされるのです。
科学は唯物的なのですから。
ですが、良く考えてみてください。
誰でも恋愛の経験はあるでしょう。
恋愛は目に見えますか?見えないでしょう。
相手のことを思っただけでドキドキしてきます。

御神業をやっていると楽しくてしようがなくなります。
新たな発見があると面白くなるのです。
浄霊の話をして反応を示さなければ
放っておけばよいのです。
気楽に御神業に取り組んで下さい。

以上










inserted by FC2 system inserted by FC2 system