救いの三本柱(三救)Three Pillars of Salvation

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平成23年2月分



 

 

メシヤ講座特選集No.120 
 <御教え>
『文明の創造』総篇 序文(文創  昭和二十七年)を拝読 

〇空前絶後の大事変

(質問者)
『空前絶後の大事変』とは何を言うのでしょうか

(先生)
これね、良く読んで下さい。大事なところだから。

『そうして右の如く最後の審判が終るや、』です。そして『愈々(いよいよ) 新世界建設の運びになるのであるが、其(その)転換期に於ける凡(あら)ゆる文化の切換へこそ、空前絶後の大事変であって、』と書かれてあるからね。『凡(あら)ゆる文化の切換へこそ、空前絶後』なんだと。「何でしょうか?」でなくてね。

この文化の切り替えが那辺たるやということですね。【那辺・・・どのあたり】
これが今自画自賛になってしまいますが、メシヤ講座で話している言霊(ことたま)の内容とかが文化の切り替えの根底になってきます。

要するにメシヤ様は言霊学とかお話されてはいましたが、まだ時期の関係上『今は言えない』と仰っておられたのです。

今回は文章が現代文ではないので解りにくいのですけども、言霊学の根っこになっている大石凝真素美(おおいしごり ますみ)という人の論文を紹介したわけです。空前絶後でしょう。読んでいたら(笑い)・・・。こういうものの真諦(しんてい)をメシヤ様は明らかにされて、しかも平易な表現で私達に教えて下さっているので大変有り難い訳です。それで、今回その根っこの部分を皆さま方に提示してそのことによって文化を切り替えて行くのです。

【真諦・・・事物や思想の根本にあるもの。本質をとらえ た極致】


〇大石凝真素美翁について

(質問者)
大石凝真素美翁は三重県の伊賀に住まったこともあるのですね。

(先生)
ああそうね。だから三重県、岐阜県、和歌山県にかけてのところで出た人達に仙人が多いでしょう。そういう人達に出会って会得していったこともあるかも知れないと思います。

(質問者)
国学者本居宣長は松阪出身です。

(先生)
本居宣長が歴史の前面に出てきてますが、時の為政者が認めたからですね。核心的 なことは為政者は認めたくないから埋もれさせてきているのではないかと思います。
           【為政者・・・政治を行う者】

ですから大石凝真素美と言う人はほとんど知られていません。専門家しか知らないのです。

(質問者)
本田親徳(ほんだちかあつ)についてはどうでしょうか。

(先生)
本田親徳は霊学だから。大石凝真素美は言霊(ことたま)ね。どちらかというと宗教家は本田霊学の方を継承してきています。言霊学はむつかしいからね。

(質問者)
大本神諭や日月神諭とありますが、日月神示ではないのでしょうか。

(先生)
日月神示と一般的に言いますし、本も日月神示で出版されていますが、神様から出たときには神諭ですからね、あえて神諭としてあります。


〇文化の切替えこそ空前絶後の大事変

(先生)
ですから今の『空前絶後の大事変』とは何か、というのは核心的な質問でしたね。『空前絶後の大事変』と言うと、普通みなさんが想像するのは地震、雷、火事、天変地異等ですね。ですがこの方は最後の審判ですから。

で、文化の切替えこそ空前絶後の大事変なのです。これは今までの人が想像していたのと全く違うということです。

(質問者)
だから今は仮の文明なのですね。

(先生)
そう。仮の文明が本当の文明になるわけですから、正に空前絶後であるという訳です。何故かというと誰も説いていないから、・・・そのことについてね。それでメシヤ様がお説きになられる。その為に「文明の創造」をお書きになられたわけです。

(質問者)
だから今は化けている。文化なわけですね。それで真の文明ができて明るくなる。文明に変わるのですね。

(先生)
何かわかったようなわからないようなですが・・・(笑い)。今の話でわからない人はもう一度聞いて下さい。ですから空前絶後の話を今から書いていくわけです。メシヤ様がお書きになられましたが途中で終わられていますからね。ですからその続きを我々で書いていくのです。

総篇のところでもう少し補足していかないと理解が難しいかもしれないです。ですので今月から解説を加えていこう、と思ってやり始めたのです。それで解説もまた難しくなるから、それを、こうしてメシヤ講座の場でまた重ねて解説していこうと思っています。

今回引用した大石凝真素美翁の文章ですがなかなか解らないという人が多いので、読みながら区切るところを示してみます。

「故(か)れこの霊聲(こゑ)を總(すべ)て一言(ひとこと)にす(素に氣と書く)と言ふなり / 故(ゆえ)にす(素に氣と書く)聲(ごえ)の言靈(ことだま)を誠に明細に説き定る時は、 / 世界一切の極元(ごもと)の眞體(しんてい)をも / 其(その)成り立ちの秩序をも / 億兆万々刧々(こうこう)年度刧大約(おほつな)恒々兮(たる) / 大造化の眞象をも /遂一明かに、資(と)り得らるるなり。/

蓋(けだ)し「ス」の言たるや⦿(す)にして⦿(す)なるが故に / 既に七十五聲の性靈を全備して、 / 純乎(じゅんこ)として/ 各皆其(その)眞位(みくらい)を保ちつつ有るなり、/ 其(その)眞位(みくらい)と謂ふは/ 皆兩々相向ひて / 遠近皆悉く反對が純一に / 密合の色を保ちて實相しつつ、/ 至大極乎として恒々兮(たり)/ 活機臨々として點々(てんてん)たり、/所謂至大氤氳(いんうん)の氣が聲(こえ)となり/ 起むと欲して堪々の中に神機を含藏するの時なり、/ 故に世に人たる者は先づ第一に此(こ)の⦿(す)の謂れを明かに知らざるべからざるなり、/ ⦿(す)が皇(スベラギ)の極元(ごもと)なればなり。(大石凝眞素美全集・八幡書店)」

このように区切って読むと大体意味がわかりますね。

言霊の説明ですから、声に出さないと理解が深まりません。漢字に意識を奪われると、却って複雑に感じます。


〇皇(スベラギ)の極元が す(素に 氣と書く)

(質問者)
皇(スベラギ)の極元(ごもと)のスベラギというのは天皇陛下のことを言われているのでしょうか。

(先生)
本来の皇室ですね。今の皇室ではなくて、と言うと誤解を招きますが、神武天皇より前の皇室ですね。ですから伊都能売神皇、天照天皇までの皇(スベラギ)の極元がこの す(素に氣と書く)ということですね。

(質問者)
眞位(みくらい)という言葉が出てきましたのですぐ「みくらたな」の神様を連想いたします。


〇す(素に氣と書く)は七十五聲の性靈を全備している

(先生)
この眞位(みくらい)の前に す(素に氣と書く)というのはですね。 七十五聲の性靈を全備していると。これはどういうことでしょうか。

(質問者)
全部の性靈の元であるということでしょうか。

(先生)
元であり、総てを持っているということですね。
ですから、
あいうえお
かきくけこ
さしすせそ
・・・・

と言わなくても「す」と言った瞬間に「あ」から「ん」まで全部含んでいる。ということが全備するということです。

(質問者)
「う」が元であるという説き方もありますが。 「すーう」と言った時に最後に「う」になるからと・・

(先生)
これはね。「う」が元だと言うのは「あうん」の呼吸というでしょう。 「あ」から「ん」まで全備していると。それで「う」で繋いでいるでしょう。 そういう働きが「う」にあるから「う」が元ではないかと言う解釈もあるわけです。また、フトマニ図を見ると、真中が「アウワ」となっています。ですから見た目「ウ」が中央になっています。

しかし、この「あうん」の呼吸と言った場合、夫婦等目を見ただけでわかってしまうとかね。ところが、本当の「あうん」の呼吸と言うのはこうした言霊的なこともわかった上で見つめあうと通じ合うという、これが本当の「あうん」の呼吸ですね。


〇生き物たちは進化の過程において言葉を許された

(先生)
それからもう一つは生き物の中で(これは御教えにありますように)犬はワンワンと鳴きますのでワ行の言霊が許されています。それから馬は「ヒヒヒーン」だからハ行を許されています。

(質問者)
猿は「キイキイ」ですね。

(先生)
猿はカ行を許されているのです。

(質問者)
猫は「ニャーニャー」ですからナ行ですね。牛は?

(先生)
「モーモー」マ行ですね。

(質問者)
虫はどうですか。

(参加者)
「チンチロチンチロチンチロリン」タ行ですかね。



〇人間は総ての言葉を許されて出現した

(先生)
まあ、そういう生き物たちは進化の過程において許可が段々出てくるわけですね。最後に人間が出て来たから総てを許されて出て来たという訳です。

(質問者)
日本人は七十五声総てを発せられますが、外国の人では発音できない音がありますよね。

(先生)
そうですね。それで日本人の耳と海外の人達の耳では違う聞こえ方をするでしょう。さっきの虫の音なんかね。「チンチロチンチロチンチロリン」とは聞こえて来ないで、うるさく、例えば「ジージー」と聞こえたりするのです。で、楽しむことができないのです。そういうことはありますが、あまりそういったことを日本人が強調していくと、今度は覇権主義と繋がって、国粋主義のような形になって行く低いレベルで捉えられたりしてしまいます。これではいけない。

霊性が低い時期にこういう核心的な勉強をしても成就しないということがあるわけです。

ですからメシヤ様御在世の時代に理解できる人が少なかったのはその時のレベルがそういうレベルであったからだということもありますが・・・。


〇天孫降臨について

(質問者)
少し話が逸れますが、天孫降臨で瓊々杵命(ににぎのみこと)が降臨したのは日向の高千穂だという説ともっと南の霧島だという説もあります。ですが、もう一方の別の見方として、

【天孫族は日向の高千穂に降臨したのではなく、史実的には朝鮮半島から沖ノ島、岡田、宇佐、瀬戸内を経て、最終的に大和に入ったもので、「・・・後に半島との対立が激化して、天皇家と朝鮮半島との連なりを抹消する必要を感じていた人々による造作(古代史家・上外垣憲一氏)のため、『記・紀』の上で捏造したものである。

「隠された正系の神々 日本縄文古神道」 坂口光男 著 住宅新報社】

という今までの歴史を覆す説もあります。しかしこの説の方がメシヤ様の御教えに近いように思います。

今日は建国記念日ですので神武天皇の即位した日です。節分の時期での霧島の噴火といい宮崎の鳥インフルエンザといい日本の歴史に関連の深い場所が大きな被害に襲われておりますので何か関係がありそうな気がして質問しました。

(先生)
多少近いですが、メシヤ様はその点はっきり書かれていますからね。 出雲族と天孫族とはっきりとお書きになっております。


〇純として

(先生)
話は戻りますが、
「七十五聲の性靈を全備している」ということと「純乎として」と書いているからね。全部の言葉を包含していると共に「純」であると。果てしなくピュアなことだということが含まれているのですよ、ということです。

そして今度、眞位(みくらい)ということをどのように解釈していくかということがあるわけですが、「ヲシデ」というのがあります。ここにね。「あうわ」とあります。だからね、さきほどの「う」が中心ではないかという解釈が成り立ってくるわけです。
【「言霊―ホツマ 」鳥居 礼 (著) 参照】


〇臓器が複雑に出来てくる元が言霊(ことたま)という解釈

(質問者)
アワの歌はアからワまですべて含んでいるといいますね。

(先生)
-フトマニ図を見て-

数を数えて行くとね
真中に「アウワ」と3つありますね。
そのまわりに8つ
次も8つ、次が16、最後も16

これが実は人間の臓器をつくる、臓器が複雑に出来てくるその元がこの言霊(ことたま)なんだという解釈があるわけです。

それで、もう一度お腹の中に宿った時の形を見てくると、一番最初は排卵したときは卵でしょう。そこの精子が一個加わると二つに割れ二つに割れたのが四つに割れそれを繰り返して細胞分裂して増えていきます。細胞分裂して三カ月位で悪阻(つわり) になる。悪阻が起きる時と言うのは水中動物から陸上動物に劇的な変化をするときだから、三カ月までは手足が出ていないわけです。それが三カ月くらいの時に手足が出始めます。しかも血液をつくる場所が脾臓から脊髄に移ってきます。


〇言霊(ことたま)は細胞分裂をしているときに影響を及ぼす

この進化をして行く時に言葉と言うのはずーっと関係してくるから親と言うのは何時も良い言葉を発していないと良い胎児が育たないのです。喧嘩ばかりしていると、肉体の分裂が時に悪い分裂を起こして行ってしまうといいます。だからそういうことをわかった人から胎教ということを言い始めたのです。言霊(ことたま)が細胞分裂をしているときに影響を及ぼすということをわかった人達が胎教を言い始めたのです。

これは世界救世(メシヤ)教や世界救世(きゅうせい)教の人達から発想は出てきていないのです。なぜなら勉強不足だからです。メシヤ様の教えに基づいて、そういう勉強を積み重ねて行くと総てが繋がっているということがわかるから、信仰生活そのものが変わっていかないといけないのです。本来はね。言葉を大事にするという事をね。

(質問者)
生命誌の話と宗教と繋がるとは先生からお話を聞くまで思ってもみませんでした。

(先生)
そうでしょう。だからこのようなことを読み始めないと、肉体は肉体で勝手に出来あがってくる、というような世界になってしまいます。

しかも主神様のことがわからないと・・・。創造主御本体である主神様のことがわかって行かないと繋がりを見い出せないのです。

ですから、今回のこの大石凝真素美翁の文章というのは、どうか繰り返し繰り返し今のような区切り方でね、自分に言い聞かせるような形で読んで頂くと、読んでいるうちにだんだんわかってくるから。辞書を引かなくてもね。魂がだんだん目覚めてくるのでね。そういうことを体験して頂きたいです。


〇眞位(みくらい)とは

(先生)
話が中途になってしまいましたが、
眞位(みくらい)というのは進化してきて、三カ月目で手足が出てきて血液をつくる場所が脊髄に移ってきて、そして五カ月目になった時に人間の形になるわけだから。だから五カ月経った胎児が流産した場合は祀ってあげないといけないという訳です。三カ月までに流産した人は祀らなくて良いわけです。メシヤ様は胎児の進化の過程がわかっておられたから『五カ月たったら祀らなければいけない』と御教え下さっておられるのです。

こういうことは、生命誌を勉強しないと本来の理解ができずに“言われたからただやる”という信仰に終わってしまいます。

それで、今度は五カ月から、さらにあと五カ月あるでしょう。これがいわゆる霊性の進化ということがでてくるのです。人間の体が出来てここからは神経が育ってい く世界だからね。五カ月くらいで大体形が出来て、その体に神経をガッーと張り巡らせるのが次の五カ月なわけです。

で、神経が張り巡らされているから語りかけると反応をし始めます。早く出て来た子は保育器に入れると目を悪くするというように言われています。これは目の神経が一番最後に出来てくるからなのです。本来水の中にいないといけないのが、外気に触れてしまうから。目の視神経ががーっと水の中でないと伸びないのでそれが外気に触れると視神経の成長を妨げることがあるのです。ですから正確に言うと悪くするのではないのです。これは進化の過程でそうなってくるのです。

眞位(みくらい)というのはヲシデの表と照らし合わせて考えて行かないといけないのは、最後に人間の体に成って行く時の細胞分裂のその一つ一つのスイッチが入って行く、それが眞位(みくらい)なわけです。そして、動物は限られた子音を発生する神経ができた段階で出産となるのです。

虫くらいのときは虫の形になるくらいの言霊(ことたま)の働きとか霊的な働きしか作用しないなわけです。そのようにして進化と照らし合わせて行って「各皆其(その)眞 位(みくら い)を保ちつつ有るなり」というのを理解してもらわないといけません。


〇人類の進化の元とは

(質問者)
人類の進化の元というのは何処へ持っていったらよいのですか。

(先生)
主神様が進化の仕組みを作っているわけですね。

どういうふうにして進化をさせるかと言うと、38億年前に初源的な生命が地球に宿ったでしょう。その時には、月が一年に4センチずつ地球から離れて行っている ので、現代より38億年前は38億×4cm地球に近かったわけです。

だから月が大きく見えていますので、月と地球の引力というのは物凄く強かったわけです。強いから生命に与える引力の影響というのは非常に強いわけです。そこで大きく激変させて行きながら、今度は月が離れて行くと引力が弱くなるから我々に与える影響というのはだんだん弱まってくる。弱まってくるから高度な進化ができたのです。 影響が強いと大がかりな進化は出来るけども、繊細な進化はできなかったわけです。

今の話を繰り返し繰り返し読んで頂くとだんだんわかってくると思います。月が離れて行くごとに高等部分の進化がその時出来始めたのです。その仕組みを主神様はつくられたわけです。


〇遠心力について

で、その地球をつくる前に前回お話しましたように、大体45億年前地球をつくってそこへ天体物をぶつけて、そして、地軸を傾けると同時に月の塊(かたまり)をつくって、それが回り始めた。回り始める速度が速いと早く離れて行くから・・・。ゆっくりすると、今度は地球からの離れ方が1年に2cmとかになってしまいます・・・。
1年に4cmずつ離れるという仕組みをその時つくったわけです。回転の速度を速めてしまうと1年に6cm10cm離れてしまうと進化のスピードが狂ってしまうからね・・・。だから月が地球から離れて行くスピードを1年に4cmという仕組みをその時に決定して回り始めたわけです。

これを科学が実証して、活用していくのがスイングバイ方式
です。宇宙船を天体へ送り出すときに、一旦月の周りを回らせて、あるいは火星の周りを回らせて、加速度をつけてとび出させる、というのがスイングバイです。

主神様の計画の一端がわかったからスイングバイ方式を編み出すことが出来たわけです。そういうふうに解釈して頂けたらと思います。

(参加者)
えー(笑い)

(質問者)
遠心力ですか。

(先生)
そうそう求心力と遠心力の活用です。

月が地球の周りを回るのも遠心力があるので1年に4cmずつ離れていっているわけです。遠心力が早いと進化のスピードが速すぎて高度成長が出来なかったかもしれない。遅くても出来なかったかもしれない。1年に4cmずつ離れるような遠心力があったからこそ我々が生まれてきたわけです。

そうすると、そのお仕組みを作られた御存在が主神様なので、科学的なことがわかればわかるほど仕組みをおつくりになられた御存在に対する感謝の気持ちが膨らんでくるわけですね。

(質問者)
遠心力ができるのは引力が元ですか。

(先生)
地球と太陽は永遠に距離が離れて行かないでしょう。これは離れない速度で回っているからなのです。その回る速度を決定されたのが主神様なのです。ですからこの主神様のことがわからないと宗教の訴えていることと科学が一致しないわけです。

語弊がありますが、救世主という理解ではここはくっついていかないわけです。
いままで救世主を皆求めて来たけども、救世主の存在だけではね、この仕組みはわからないわけです。しかし救世主はこの仕組みを教えに降臨してこられたわけです。

ですから、その教えを受けた私達はその仕組みを組み立てて行かないといけません。さらに・・・。このさらに組み立てて行く人間が本来の宗教の指導者なわけです。 宗教の指導者が今まで突き詰めて勉強、研究をしてこなかったので、信者さん方にそのようなことを提供することが出来なかったのです。それでは申し訳 ないので、今私はこうやってメシヤ講座をやっているわけです。


〇⦿(す)御神体をにお参りする人が増えて行くことによって大転換が行われる

そして、そのことを理解するために、今回、大石凝真素美翁の⦿(す)の文章が出ていますので、実はこの御神体のことなんだというふうに受け止めて頂ければ有り難いと思います。

このような話のやり取りの中で⦿(す)という御神体の尊さを合わせて理解して頂きたいということで『故に世に人たる者は先づ第一に此(こ)の⦿(す)の謂れを明かに知らざるべからざるなり』ということですから、主神様の御神体のこの⦿(す)ということがわかった時に始めて大きな文化の転換が行われていく。そういうふうに理解して頂きたいと思います。

⦿(す)によって変わっていく、といくら言われてもわからないと思います。しかし、この御神体をにお参りする人が増えて行くことによって大転換が行われていきます。しかも主神様のご意図の認識ということがね。こういう主神様の勉強をしていきますと全く違ってきますから・・・。

そういうふうに一歩足を踏み入れて頂いて歩きはじめてください。 そういうことがわかって、もう一回この文章を読むと、大分わかってくると思います。


(質問者)
氤氳(いんうん)というのはどのような意味ですか。

(先生)
『至大氤氳(いんうん)の氣』ですから宇宙の気を集中して出す、というそういう世界があるでしょう。天地の気が漲るという意味があるようです。

(質問者)
気を寄せてきて出すという・・・

(先生)
ですから「あ」という言葉が最初出てくるときに、これは吾郷 清彦(あごう きよひこ)
という人は、無声の声が響いて響いて鳴り響いて、飽和状態になった時に霊界から現界に出て来た時に「あ」という言葉が出て来たとそういう解説をしておられます。

(質問者)
以前お聞きしたような気がします。

(先生)
メシヤ講座に出ていますね。

【関連内容を以下にメシヤ講座特選集より抜粋いたします。】

「メシヤ講座・特選集No.100 平成二十一年五月分」より抜粋

このお文字は今から約三千年前に使われていたホツマ文字の中では「あ」という文字であります。「日本人に神様が『あ』という言霊(ことたま)を教える際に、『あ』という言葉が出る前に霊界の方でまず『クスツフムヌル』という無声の声が響いて、それが飽和状態になった時に「あ」という言葉が成り出でたとのことです。それでこのお文字というのは「クスツフムヌル」ということをしっかりと認識しなければいけない、という想いに至った訳であります。

「之が『宇宙剖判』の始まりで、その宇宙初の声は即ち『ア』という母音であります。(「日本超古代秘史研究原典」吾郷清彦著・新人物往来社)より抜粋)」


「メシヤ講座・特選集No.8 平成十三年七月分」より抜粋

日本語の父音について

(質問者)

以前「クスツフヌムル」によって「あ」という言霊が発せられたということをお聞きしましたが、考えても解ることではなさそうなので、もう少し詳しく教えていただきたいのですが・・・。

春日言霊学に出ています。解りやすいのは、高島延枝説ですね。少し引用しておきましょうか。引用文中「クスツフヌムル」は「クスツフムヌル」となっておりますが、春日言霊学でも両方出ております。

抑も宇宙の音と云う音、言葉の精髄はクスツフムヌルの七つの父韻とアイウエオと云う五つの母韻に悉く還元する事が出来ます。七つの音は、未だ音とはならず、潜んで居る言霊としての宇宙の定律であります。宇宙の万有の音乃至言葉より帰納した結果によりますと、この定律の各々に夫々独得の個性がありまして、
ク・スは、発射進展力を現わして、遠心性・創造性を具え、
ツ・フは、円融親和力を現わして、実在性・限定性を具え、
ム・ヌは、凝集結合力を現わして、求心性・統一性を具え、
ルは、浸透性・螺動性を具えて居ります。

茲で我々は、交叉無凝・交流無凝なる大宇宙の姿なるものを考えてみますと、それは太古の我々日本人の先祖が既に考えて居ました葦芽気(あしかび)の形に
納ります。

之には、左旋右旋の二様の形式があり、之がクスツフムヌルの定律によって交流無凝に活動して、その結果、茲にウミムスビ(産霊)の作用を行います。悠久なる大宇宙の歴史の間に於ける一時、この葦芽気の姿を具えた大宇宙が、自己みずから、此のクスツフムヌルの『リズム』の飽和に耐えかねて、自ら鳴り出しました。

之が『宇宙剖判』の始まりで、その宇宙初の声は即ち『ア』という母音であります。やがて此のアは、更に葦芽気のク・スなる遠心性・創造性の働きによってエと鳴り出で、次にツの働きによりイと鳴り、フの働きによってオと鳴り出で、次にム・ヌ・なる求心性・統一性の葦芽気の働きによりウと鳴り出しました。斯くして成(鳴)れる五大母音は、再びクスツフムヌルの父韻と産霊をなして『子音』を発生し、茲に我々が日常使用する五十音が発生したのであります。

比較的解りやすい文章です。参考にしてください。そして、七十五声の響きを大切にして、言葉を丁寧に使っていただきたいとお願いしたいですね。ついでながら、海外へ出かける要人の方々は、スピーチなどをする場合、日本語でしていただきたいですね。特に皇族の方々は日本語を響かせていただきたいと、切に願っています。(ここまで引用)


(先生)
私は若い頃から積み上げてきて、こうやって説明しておりますが、初めて聞く人はね。「ふーんそういう世界なんだ」と思ってくれれば、難しいけど何となくわかっ
てくれれば良いと思いますね。

それで「祈りの栞に寄せて
」の 一、「序-宗教について」で「宗教の文化形態は宗教の要素が遠心分離的に発展してきたもの」と書かせて頂いたのを思いだして頂くと、その宗教の元がこういう世界なのだと・・・。

(質問者)
岸本英夫氏の論説のように・・・
「宗教学」宗教学 大明堂, 1961

(先生)
そう。氏の宗教観ね。氏はメシヤ様と同時代に生きられてあのような論説を述べたわけですから。で、その論説のように、宗教が遠心分離的に現在の文化形態ができた、というそういう解釈を氏は確立して、我々に示して下さったので、我々は宗教をやりながら、さらに本源というところにこうやって求めることができるのだ、というふうに繋げて頂けると良いかと思います。そうしてもう一回「祈りの栞に寄せて」を読んで頂くとより深く理解できて良いですね。

で、岸本英夫氏の「宗教学」の宗教学概論はそのまま読むと難しいからね。それをわかりやすく私は「祈りの栞に寄せて」に書いたのです。

(質問者)
話が天体、宇宙のことと生命誌と言霊学すべて繋がっているのですね。

(先生)
これが初めに戻ると、「空前絶後の大事変」というのは、こういうことを言うのです。ですから「空前絶後の大事変」が今日は一つ呑み込めましたね。

こういう根元的な学びを始めて行くと魂を揺り動かされる人たちが増えて行くと思います。各地でそういう兆候が顕れ始めています。


〇大難を小難、大難を無難に

(質問者)
節分祭、立春祭の時の報告ですが、レンタカーを借りましたが車のナンバーが53(いずのめ)でした。それから節分祭に参拝前に風呂で転んで背中を思いっきり石で打ちましたが、無傷で痛みも今はほとんど御座いません。一緒にいた母が転んだらえらいことになっていました。

帰りに福岡市で主人は地図を見て下を向いていて、私が直近の信号を見落とし一つ向こうの信号を見ていて、赤信号で交差点に進入してしまい、危うく原付とぶ
つかるところを無難にして頂きました。

(質問者)
大難を小難、小難を無難にと言いますが、大難を小難、大難を無難だと言いました。頭の浄化ですね。

(先生)
やっぱり頭の浄化ですね。

(質問者)
背中を酷く打って一時声も出なくなりました。

(質問者)
背中なので背中に鞭の跡が・・・出来ていませんでした。(笑い) しっかりとお詫びをさせていただく気持ちで節分祭に臨ませていただきました。

(先生)
そういうふうに受け止めて頂くとずいぶん信仰的ですね。私も節分祭後足に浄化を頂いております。

(質問者)
今も節分祭を執り行う世界救世(きゅうせい)教教団は少ないですか。

(先生)
お詫びをしないのでね。

(先生)
〇〇さん風邪の御浄化を頂いているのですか

(質問者)
はい

(先生)
今インフルエンザが物凄く流行しているようですね。子供さんたちは大丈夫ですか

(質問者)
大丈夫です

(先生)
今年のインフルエンザは熱が出ないようです。38度までいかないようです。 大分県は学級閉鎖が多いですね。

(先生)
さあ、そのほか質問はないですか。

宇宙の構成をわかって行ってもらわないとね。主神様の御意図を推し量っていくにはね。繰り返し読んで頂きたいために今回、三重支部と浜松支部のホームペー ジを引用致しました。

(質問者)
二重螺旋やホツマツタエ等以前より少しずつメシヤ講座で学んできたことがここへきてだんだん繋がりをみてきましたね。

(先生)
今回引用した大石凝真素美翁の全集を、私はなかなか手に入らなかったのでね。手に入るまで引用出来ないと時期を待っていましたのでね。それで手に入ったので愈々時期が到来したなと思って、こういうふうに載せ始めたのです。それで一挙に内容が高度になってしまいました。

(質問者)
全文このように書いてあるのですか

(先生)
そうです。全文この書き方です。

(質問者)
読むのに非常に努力を要しますね

(先生)
だからこういう本はさっきのように声を出して読んだ方がわかります。 漢字は何処までもね日本語に対する宛て字のようなものだから。

(質問者)
言霊(ことたま)にして・・

(先生)
そう。言霊(ことたま)にして理解をしようとすれば、何回も声に出して読んでいればわかり始めるから。勉強の仕方のこつは声に出して読むことです。

(質問者)
素に氣と書くというのはどういうことですか

(先生)
そのように書いてあるのですが、字がパソコンで出て来ないのです。難しい字は字源で調べるとよいですね。でもまた高価なのです。古い広辞苑なんかでもある程度文字がわかりますね。

 

 

〇罪穢に対する認識

(質問者)
『文明の創造』を拝読していて思ったことは、メシヤ様は罪のないものだけでなく、罪浅き者も救われようとなさってくださっているということです。 メシヤ様に繋がっていれば大丈夫だと思わせて頂きました。罪なき者という表現は仏教では良く出てきます、ですが罪浅き者とはあまり聞かないのです。

(先生)
メシヤ様の祝詞と神社で奏上されている祝詞に違いがあるのです。天津祝詞は、神社では「諸々の枉事罪穢れあらば祓ひ給へ浄め賜へ・・・」と奏上します。私達は「諸々の枉事罪穢を祓ひ給へ浄め賜へ・・・」と奏上します。メシヤ様はもう罪穢はあると断定しておられるのです。その罪穢を「祓ひ給へ浄め賜へ」と奏上するのです。ですからシヤ様の罪穢に対する御認識が今までとは全く異なるのです。

(質問者)
罪穢のない者などいない、との前提ですね。 三千年来の罪穢で元々厳格な神様を押し込めた罪はあるのですからね。

(質問者)
『勿論(もちろん)旧文明中の誤謬(ごびゅう)の是非を第一とし、新文明構想の指針を与へるものである。』と文明の創造序文にありますが、旧文明の誤謬(ごびゅう)の是非とは何を第一とされるのでしょうか。

(先生)
次回から出てきますからね。文明の創造をしっかり拝読していきましょう。次回は「既成文化の謬点(びゅうてん)」ですね。ですから先ほどの質問の誤謬(ごびゅう)とは何かを示されておられます。

(質問者)
「三千年来の罪穢で元々厳格な神様を押し込めた」とはどういうことですか。

(参加者)
三千年前厳正な国常立尊という神様を押し込めた。煎った豆に芽が出てくるまで出るなと言って押し込めた。煎った豆に芽がでるはずもない。そういう天若彦と
いう現在の天邪鬼という言葉にのこっているような神様が筆頭になって押し込めたのです。そういった罪穢をも現在に引き継いできているという。

 

 

 

〇節分祭は只管(ひたすら)人間が神様にお詫びをする祭事

(先生)
入信教修でね。『夜昼転換』という御教えを習ったでしょう。

(質問者)
さあ????

(先生)
『夜の時代』というのは『霊主体従』ではなくて体主霊従だからね。 『夜の時代』は体の方が先なのです。物質の方が主になってくるのです。それで善と悪については悪主善従なわけです。昼は善主悪従なわけです。ですが夜は逆なわけです。夜の時代になったわけは厳格な正しい神様を人類が押し込めた。天の岩戸に・・・この押し込めたことをお詫びする日が節分祭なわけです。 それで押し込めたことをお詫びすると翌日の立春祭から神様の光、偉力が強くなってくるのです。神様の揮われる神威が弥増すのです。それで立春祭をお祝いするのです。

ですから、節分祭はお祝をするのではなくて、只管(ひたすら)人間が神様にお詫びをする祭事です。それで、神言(大祓い祝詞)を奏上するのです。

(質問者)
大祓い祝詞ですか

(先生)
神言ね。天津祝詞は祓い言葉ですが、神言は大祓い祝詞と言われていて大きく祓っていく、そういう祝詞ですからね。それを奏上させていただくのです。
三重支部では喜多さんが奏上されたのですね。

(質問者)
立春祭で祝詞を奏上させていただいてメシヤ様の御尊影を拝しましたらピカーッと光っておられました。とてもうれしくなりました。

(先生)
節分祭、立春祭が無事三重支部で挙行されたことをお喜びし、本日のメシヤ講座を終わらせて頂きます。

(参加者)
ありがとうございました。

以上

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《番外編》
午後出た質問で参考になるところが御座いましたので掲載させて頂きます。


(質問者)
仏壇にお参りする時も必然と形式が変わりますね。 幽世の大神守り給へ幸倍給へ 二回奉誦

のあとに

〇〇け とおつみおや よよのおやたち うからやからの みたまたちさま
〇〇家遠津御祖代々之祖達親族家族之神霊等 様

が霊籍の向上が許されますように、私達は現界でメシヤ様の御手足となり御神業に尽くしますのでどうぞ御先祖様は霊界で修業されて下さい。そして因縁の方がここへ導かれるよう後押しをお願いします。

のあとで

惟神霊幸倍坐世 二回奉誦

していますが、この場合の参拝方法はどのようにさせて頂いたらよろしいでしょうか。

(先生)
〇〇家遠津御祖代々之祖達親族家族之神霊等 は言わなくて良いです。

(質問者)
言葉では唱えていませんでした。頭の中で唱えていました。

(先生)
それはね。お参りした時に頭を下げた時に言えば良いです。 で、惟神霊幸倍坐世(かむながらたまちはへませ)と何のために唱えるかというと御先祖様の代わりに唱えるわけだからね。だから我々が頼むわけじゃなくてね。御先祖様の代わりにお願いするのですから。

それで、お参りする時には頭を下げて「幽世大神様(かくりよのおおかみさま)、 〇〇家遠津御祖代々之祖達親族家族之神霊等の御守護をお願いたします。」
そして、「○○家遠津御祖代々之祖達親族家族之神霊等様、皆様方の霊籍の向上を謹んでお祈りいたします。私は御神業を推進したいので霊界からお導き下さい」と。

そういうふうにお祈りしたら良いです。

(質問者)
〇〇家親族縁族一切の皆さまが霊界で許されて向上できますように、というのはどうでしょうか。

(先生)
だからそれが、〇〇家遠津御祖代々之祖達親族家族之神霊等様ということなのです。それに親族縁者がとかが含まれるわけです。親族家族(うからやから)は親族家族ですからね。ですからそのような言い方でも良いですよ。

霊籍の向上をお願いたしますという事です。

(質問者)
それから何でした?

(先生)
御神業に臨ませていただくので霊界からお導きご協力をお願い致します。ですから自分のメモ帳にメモして行って下さい。 それを言ってから 惟神霊幸倍坐世(かむながらたまちはへませ)と唱えます。

(質問者)
それで惟神霊幸倍坐世も1回目は先達、2回目は参拝者ですか。

(先生)
そうです。大黒様と同じですね。 大黒様は一番ストレートで良いですね。お金をお運びくださいとお願いできるのですから。 こんな有り難い神様はないですね。

(質問者)
御先祖様にお経を唱えてあげるのはどうですか

(先生)
お経の意味がわからないから御先祖様にはね。 あの節回しが良いだけですからね。 生きているときにインド語がわからないのにね、死んでからわかるわけがないでしょう。

(質問者)
でも般若心経なんかは、きちんと日本語でね説明をしていただいてね。

(先生)
うん。それだけ。そういうふうに和訳したものだけです。日本人がわかるのは・・・。しかし、元々のお経はインド語だからね。

(質問者)
それでも善言讃詞というのはそういうお経を元にしてつくられたのではなかったのですか。

(先生)
観音経を元にして祝詞風におつくりになられたのです。だから日本人が聞いてもわかるのです。

(参加者)
観音経というのは「観音様の御名を唱えなさいさらば救われる」という意味ではないですか。とすると神様の名前を唱えれば救われると。とすると現在では主之大御神様と唱える現在の善言讃詞が最も良いではないですか。

(質問者)
今の私は教えを頂いてわかりますよ。でももっと前の代は善言讃詞ではやっぱり・・昔のお経で納得している人に善言讃詞をというのは・・。

(先生)
霊界人がわかるのは言霊(ことたま)の並びなのです。 善言讃詞によって言霊が並んでいくと、例えば地デジを見ていると画面が落ちたりすることがあるでしょう。ああいうのが元にぐぐっと戻ってくる様子が霊界人が一番良くわかるわけです。

善言讃詞を唱えるとこの辺りの霊界人が集まってくるから。現界の人達は聞く耳を持たないと救われませんが、霊界人は救われる。だから初期に善言讃詞を唱えると犬が大泣きしたりします。ぞろぞろして先祖が集まってくるから犬はわかるわけです。御神体のない地域で御奉斎式をすると良くそのようなことが起きます。

以下省略




【御教え】『御光話録』一八号、昭和二五年四月二三日

(質疑)
現在言霊学についていろいろ研究されておりますが、真の言霊学とは思われない点が多いように存じますがいかがでしょうか。

(メシヤ様)
これはまったくですね。ラジオでやってる仏教の講義なんか聞いてると、実にコジツケもはなはだしいものがありますよ。とてつもない手前勝手な解釈なんかもしてますね。私はこれからだんだんと本当のことを説くつもりですがね。・・・言霊学っていうものは非常に難しいものなんです。これはごく昔はあったそうですが、中絶してしまっていたんです。それを本居宣長が国文学を基礎としてそうとう研究した。だから本居宣長が言霊学の開祖というわけですね。これを岐阜の神官の長沢という人が宣長から学んで、ある程度の進歩をさしたんです。そしてその長沢の弟子が出口王仁三郎なんですよ。だから出口先生もそうとう言霊が判ってたんです。で、私は出口先生からも教わりましたが、それと神様から知らされたのと両方ですよ。だから、私が一番言霊学を知ってるつもりですがね。しかし、言霊のことは判っていても発表できないんですよ。なぜかって言うと、本当の言霊が判るといろんなことが判ってしまうからです。最近はまだいいんですが、終戦前には決して詳しく言霊のことを話さなかったんです。言霊で解釈すると天皇のことなんかもよく判るんです。神武天皇からずっと明治天皇、大正天皇、いまの天皇のこともみんなはっきりしちゃうんです。ところが、あのころにそんなことが当局に知れでもしたらたいへんですからね。昭和っていう年号のことだって実によく判るんです。いまでこそ言いますがね、「昭和」には昼の世界になるってチャンと出てるんです。なんと言ったってしかたがないですよ。まったく、実にたいしたものなんですよ、言霊ってものは。言霊が判れば、あらゆる神秘が判りますからね。まあ、ある程度言霊について書くつもりですが、他に仕事が多くて、それに追われてるんでね。 

 

 

 

 

以上 
 

 

 

 

 

 

 

  

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質疑応答形式で作成を始めた19年11月度からの「メシヤ講座・三重」を掲載していきます。
個人のプライバシーに関する記述および個人を特定できてしまう記述は編者の独断で省略しておりますので文章につながりがないことがございます。
また、筆記で作成していますので表現上書きとれなかった箇所もございます。 
ご賢察の程お願い申し上げます。
 
 
 
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